追憶の峠みち No.1

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 追憶の峠みち No.1

過去に走った峠みちの風景をピックアップしてみました。 峠そのものだけでなく、走っている時に気に入った風景の場合もあります。 「懐かしい」と思われる方、「昔はこんなだったんだ」と思われる方など、ご覧いただく人によってさまざまと思います。

第1章:1974年〜1976年

サイクリング趣味を始めて1年目からの3年間、峠越えツーリングに目覚めた時代です。 当時はダートの林道もまだまだ多く、このページの写真の多くもダートです。 現在はほとんど舗装された峠ばかりですし、中には新道開設とともに廃道となった道もあります。


和田峠(688m)
神奈川県津久井郡藤野−東京都八王子市上恩方
1974/01/02



刈場坂峠(850m)
埼玉県比企郡都幾川村
1974/05/04

 高校1年の冬休みに、初めての峠越えツーリングで越えた峠。東京のサイクリストなら一度は越えると言われたメジャーな峠です。
 当時は長いダートが続き、初心者の私は「これが峠越えなんだな」といたく感激したものでした。
写真は峠手前から下方に見えるヘアピンカーブで、ずいぶん登ったんだなあと思って撮影しました。
 高校2年のGWにクラスメートと2人で奥武蔵ツーリングに出かけました。写真は当時出来たばかりの奥武蔵グリーンラインの最初の峠「刈場坂峠」です。上り下りが激しく、友人ともに閉口した記憶があります。そう言えば、この時以来、グリーンラインは走っていません。
三国峠(1,754m)
長野県南佐久郡川上村−埼玉県秩父郡大滝村
1974/08/05

信州峠(1,460m)
長野県南佐久郡川上村−山梨県北巨摩郡須玉町
1974/08/05



 高校2年の夏休みに、初めての本格的輪行峠越え信州ツーリングを敢行し、最初に越えた峠です。埼玉県側から中津川林道の荒れたダートを延々さかのぼり、登ってきた荒々しい風景と峠から見た信州の穏やかな風景のギャップに驚きました。
 写真の奥の自転車が私の丸石エンペラー、手前は秩父YHで一緒だった大学生の方の山王製ランドナーです。当時オーダー車に憧れを抱き始めた私は、各地でオーダー車を見るたびに羨望の眼差しを向けていたものでした(笑)

 左の三国峠を下り、引き続き信州峠を越えました。写真は登りの途中で、振り返って写したものですが、当時はこのようにダートが続いていました。 信州峠はその後も何度となく訪れていますが、ダートの時代も今は昔、といった感がありますね。

大河原峠(2,093m)
長野県北佐久郡立科町−北佐久郡立科町望月町
1974/08/09



入山峠(600m)
東京都あきるの市−八王子市
1975/02/09



 大河原峠はその後も何度か行きましたが、この時が最初でした。林道夢の平線も当時はダートでしたが、その時のレポートには「そんなにきつくないので、アッという間に峠に着いた」とあります。ちなみにギヤはF50-36/R15-24Tでした。やっぱり若かったんですね(笑)
 

 ここも東京のサイクリストにとってはメジャーな峠です。当時は荒れたダートが続き、峠が終点でした。まだ植林も進んでいなくて、ご覧の通り荒々しい雰囲気でした。

鶴峠(885m)
山梨県北都留郡小菅村
1975/03/17



鳥居峠(1,362m)
長野県小県郡真田町−群馬県吾妻郡嬬恋村
1975/08/11

 ここも 当時は松姫峠との分岐地点の子永田からダートが続く峠道でした。片倉シルクのロードレーサーにソーヨー#100のチューブラータイヤを履かせてダートを走っていました。今は道幅も拡張され 、もちろん100%舗装となり、当時の面影はありません。

 この年の夏ツーリングは菅平高原から軽井沢を経由して高崎あたりまで走りました。鳥居峠は国道144号線の上信国境の峠です。

二度上峠(1,381m)
群馬県吾妻郡長野原町−群馬県倉渕村
1975/08/12



二度上峠 その2




 前日の鳥居峠を越えて北軽井沢に入り、翌日、二度上峠を越えました。当時はもちろんダートです。その時のレポートによれば、「ほんの50m押しただけで登り切った」とありました。当時は片倉シルクのロードレーサーしか所持していなかったので、マッドガードとフロントキャリヤを無理矢理装着して、帆布製のフロントバッグに荷物をパンパンに詰め込んで走っていました。

 左の二度上峠から下る道の遠景。かなり山肌を削って作った道のようです。

風張峠(1,146m)
東京都西多摩郡奥多摩町−東京都西多摩郡檜原村
1976/05/11

馬越峠(1,650m)
長野県南佐久郡南相木村−長野県南佐久郡 川上村
1976/08/14

  今は無料ですが、当時は「奥多摩有料道路」といって、自転車は50円でした。元気なことに調布の自宅から全走で走っていました。この時は山岳コースに備えて14〜27Tの5段フリーに交換して出かけていたようです。ちなみにチェーンホイールはプロダイナミック+サンプレックスの50×40T、RDもサンプレックス、ブレーキはマファックコンペティションでした。この頃はパーツをしょっちゅう交換して楽しんでいたようです(笑)

  この年、念願の650Bツーリング車をオーダーし、夏の信州ツーリングに出かけました。小海線の小海駅を出発、その日最初の峠がここ馬越峠でした。半分は自分でやらせ気味にセルフタイマー使っていますが、実際にも結構へばっていたようです。この峠は非常に開放感が感じられる峠で、前方に広がる裾野が印象的です。

信州峠(1,460m)
長野県南佐久郡川上村−山梨県北巨摩郡須玉町
1976/08/14



木賊峠(1,700m)
山梨県北巨摩郡須玉町
1976/08/15

 この切り通しが当時の信州峠です。今の峠に比べると道幅は半分以下という感じです。

 この写真は峠手前の木賊平というあたりです。当時は何しろ静かな幻想的な草原地帯という感じがして、私のお気に入りの場所の一つでした。ちなみに今は、この辺りのかっての林道がほとんど舗装されて、クリスタルラインという名前の高原ドライブルートとなっています。
観音峠(1,376m)
山梨県北巨摩郡須玉町−山梨県中巨摩郡敷島町
1976/08/15

道坂隧道(1,050m)
山梨県都留市−山梨県南都留郡道志村
1976/08/17



 観音峠は、木賊峠から下る途中の峠です。この時は650Bといっても、ウオルバースーパーランドナーという35B舗装路用タイヤだったのですが、荒れた路面で全然グリップせず、難儀しました。  この写真は現在の道坂トンネルではなく、旧道坂隧道です。現在はコンクリートで塞がれているばかりか、特に都留市側の旧道はほとんど意図的に消失させられているようです。

和田峠(688m)
神奈川県津久井郡藤野−東京都八王子市上恩方
1976/10/05


和田峠 その2
神奈川県津久井郡藤野−東京都八王子市上恩方
1976/10/05


  写真は和田峠から山肌を巻いて登った陣馬山頂上です。同行した知人と私の自転車は、ご覧の通りのロードレーサーです。2台ともかって定評のあった片倉シルク 号です。   写真は和田峠から八王子方面に下り始めた知人を撮影したものです。和田峠も一体何回走ったか定かでないほどですが、この頃の陣馬街道は、まだかなり下までダートが続いていた記憶があります。

吹上隧道(222m)
東京都青梅市黒沢−東京都青梅市成木
1976/11/02


梅ヶ谷峠(310m)
東京都青梅市和田−東京都西多摩郡日の出町
1976/11/02


  吹上峠には現在3つのトンネルがありますが、この写真は通称(?)昭和トンネルといわれるものです。3つめのトンネルは平成になって作られたものですから、当時は2つということになります。このトンネルの上には明治トンネルもありますが、今や心霊スポットにもなっているらしいです(^_^;

 この峠も今(こちらを参照)は当然舗装されており、クルマの交通量も多いですが、当時はダートで、切り通しの両側はススキが所狭しと風にそよいでいました。

松姫峠(1,250m)
山梨県北都留郡小菅村−山梨県大月市
1976/11/09
松姫峠 その2


 松姫峠は私のお気に入りの峠のひとつです。この写真が初めて越えた時のものです。当時は鶴峠との分岐地点の子永田から長いダートが続く峠道でした。
 ちなみに今はこんな感じです。
 峠の碑に置いたカメラのセルフタイマーで峠に到着した自分を撮影したものです。
松姫峠 その 3



松姫峠 その4

この峠の碑は今も変わらぬ姿でどっしりと建っています。  峠を大月側に約400mほど下った右ヘアピンカーブを曲がると、この景色が広がります。松姫峠を訪れるサイクリストの多くは多分思わず息をのむ眺望でしょう。猿橋までは標高差1000mのダウンヒルとなります。

 

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