追憶の峠みち No.2

TOP > 追憶の峠みち No.1、追憶の峠みち No.2、追憶の峠みち No.3

 追憶の峠みち No.2

過去に走った峠みちの風景をピックアップしてみました。 峠そのものだけでなく、走っている時に気に入った風景の場合もあります。 「懐かしい」と思われる方、「昔はこんなだったんだ」と思われる方など、ご覧いただく人によってさまざまと思います。

第2章:1977年〜1979年

この3年間は、甲州、信州を中心として、比較的標高の高い各地の峠を盛んに走っていた時代です。 また東京の奥多摩方面の峠も日帰り中心によく走りに行っていました。脚力もこの頃がピークだったようで、F28×R21Tで走れない峠はないと思っていました。


入山峠(600m)
東京都あきるの市−八王子市
1977/01/04



入山峠(600m) その2




  入山峠に至る盆堀林道は、手軽な日帰りコースとして、毎年のように訪れていました。この頃もまだ峠が終点です。この写真は正月休みに、アルバイト先の人達と「峠で餅を焼いて食べよう」という名目で出かけた時のものです。冬枯れの峠の日だまりの中で、餅を焼き、コーヒーを湧かして食後の昼寝を楽しむ・・・そんなプランでした。
 クルマ(ケンメリスカイライン)が時代を語っています。
 この頃はアルミボトルを直接火にかけて、お湯をわかすのが普通でした。峠に着いてから、石をつみあげて簡単なかまどを作り、持参した網の上で餅を焼いて食べました。
陣馬山頂上にて(857m)
神奈川県津久井郡藤野−東京都八王子市上恩方
1977/03/26

松姫峠(1,250m)
山梨県北都留郡小菅村−山梨県大月市
1977/10/18



  高尾山から小仏峠〜景信山〜明王峠〜陣馬山〜和田峠に至る裏高尾縦走コースは、東京のサイクリストにとって、山サイの入門コースという位置づけにあります。私はハイカーで混雑する高尾山は避けて、小仏峠から走っていました。冬から初春に入る頃が空気も澄んで走るには良い季節です。
 ちなみに今は、高尾山は自転車進入禁止になっています。

 松姫峠越え2回目の時です。友人はパスハンター、私はロードです。F42×R21Tでした。(う〜ん、元気があったなあ)
 この頃、舗装工事が開始されていましたが、まだダートでした。

松姫峠 その2



木賊峠(1,700m)
山梨県北巨摩郡須玉町
1978/05/14

 峠を下って、『国鉄』中央本線の鳥沢駅(注)で自転車を分解したところです。いかにも地方の典型的ローカル駅といった風情です。輪行袋やフロントバッグも帆布製で、当時の様子がよく出ています。
(注)ある方から間違いを指摘されましたので駅名修正しました。

 私のお気に入りの峠手前の木賊平です。当時は新宿発長野行き普通夜行441Mというのがあって、23時55分発のこの列車は、山屋さんやサイクリストに人気でした。木賊峠方面に行く時はいつもこの列車を利用していました。ホームには多いときには20人くらいのサイクリストが輪行袋をしょっていました。

木賊峠 その2




大ダワ峠(1,000m)
東京都奥多摩町−東京都檜原村
1978/06/01

 同行した友人が撮ってくれた木賊峠ダウンヒルシーンです。この頃はダートの下りが今より全然速かったです(^_^;
 もっとも、この時はもう少し下って観音峠を過ぎたあたりで大転倒をやらかし、お気に入りのベルリーのハンドルバーがぐにゃりと曲がるは、リオター#460のペダル軸が曲がるは、甲府駅に着くまで肘の出血が止まらず包帯は真っ赤になるはで、さんざんでした。
その時以来、救急用品の充実が図られる事になり、今や巷では「走る救急箱」と言われてます(>_<)

  大ダワ峠は、奥多摩から五日市に抜ける鋸山林道の峠です。写真の遥か下に青梅街道からの林道分岐が見えます。この上りは距離はさほどありませんが、結構勾配がきつかった記憶があります。
 650×38Bタイヤ、帆布製フロントバッグ、単1×3本の探見ランプ(反対側にはソービッツお団子ヘッド直付)、ユニバーサルブレーキレバー、MAFACライドセンタープル、GBステム とアディーのベル、サンプレックス変速レバー、レフォール亀甲ガード等々、いかにも当時のランドナーです。下りでは、ブレーキレバーを握りしめる手が痛かったなあ。

大ダワ峠 その2
大ダワ峠 その3



 鋸山林道は路面状態が悪く、しょっちゅう崩壊していました。これは峠手前1kmあたりですが、完全に崩れています。左側の斜面を自転車を担いで、そろりそろりと進みました。渡り終えた時はホッとしました。

 ここが大ダワ峠。ここから五日市方面に下ると神戸岩という奇岩があり、東京では結構有名なところです。
 ちなみに鋸山林道も、今は完全舗装となっています。

保福寺峠(1,345m)
長野県小県郡青木村−東筑摩郡四賀村
1978/08/15

保福寺峠 その2


 峠からの日本アルプスの眺望が素晴らしいこの峠は、サイクリストのみならず登山者にも良く知られています。古来、東山道がこの峠を越えており、奈良・平安時代から利用されていた峠です。また日本アルプスを世界に紹介したウェストンもここからの眺めに魅せられたからというのは有名な話ですね。写真は上信国境を写したもので、はるか前方が菅平方面です。

 保福寺峠全景です。この時はここから蝶ヶ原林道をさかのぼり、三才山峠を越えて、次の写真の武石峠に向かったのですが、上りが続き水場もなく、なにしろ暑くて水たまりの水をボトルに詰めたほどでした。そんな艱難辛苦だったせいか、三才山峠みちでは写真撮影もしていませんでした(^_^;

武石峠(1,760m)
長野県松本市美ヶ原−小県郡武石村
1978/08/15

権兵衛峠(1,552m)
長野県木曽郡楢川村−伊那市西箕輪
1978/08/17

  保福寺峠から蝶ヶ原林道三才山峠を経て、ようやく着いたのがこの武石峠です。艱難辛苦の蝶ヶ原林道を走ってきてやれやれと思ったのもつかの間、思い出の丘に向かってさらに登っていた最中に思わぬトラブルが発生しました。なんとフリーのフタがはずれて、ベアリングがすべてこぼれ落ちてしまったのでした。幸いなことにラチェットやバネは残っていたので、とりあえずフタを締めただけで出発し、自転車を押して歩いていき、美ヶ原最高地点の王ヶ頭を目指したというお粗末でした。
翌日はベアリングの代わりに予備のダイナモコードと針金を入れて応急修理し、扉峠(1,670m。当時、大部分は林道でした)〜和田峠(1,531m)と走り、下諏訪の自転車店でベアリングをわけていただいてなんとか修復したという強烈な想い出があります。

 今は国道361号線となっている権兵衛街道ですが、当時は峠手前から約4キロは山道でした。雨の中、夏草が茂り、道も消えかかるような状況で、途中でカモシカと遭遇したりして、ひたすら歩いたのが印象的です。写真の私も半分放心状態のようです。峠からは林道となり、ひたすら下って国道19号に入り、鳥居トンネルを抜けて木曽路に入ったのでした。
景信山手前から見た富士山(727m)
神奈川県津久井郡−東京都八王子市
1979/05/06
太良ヶ峠(1,123m)
山梨県甲府市−山梨県山梨市
1979/06/01
 総勢5人でGWの最中に裏高尾を縦走した時のスナップです。
 この展望は裏高尾縦走コースで私のお気に入りのアングルで、中央高速道と相模湖を下に見つつ、前方に富士山を遠望するという絶好のビューポイントです。ちょっと絵葉書的ですが。
 このときも新宿発2355発の441Mに乗り込み、甲府駅を夜中の3時半過ぎに出発して、峠を目指しました。晴れていれば峠から富士山や南アルプスが展望出来るのですが、この時は曇り空で霧も出ていて、何も見えませんでした。
旧笹子隧道(1,080m)
山梨県東山梨郡大和村−山梨県大月市
1979/06/01
大峠(1,570m)
山梨県大月市
1979/07/06
 太良ヶ峠を下り、その日次に越えたのが旧笹子隧道。ここは旧甲州街道に作られたトンネルで、昭和33年まではこの道が国道20号線でした。この時は峠前後7キロ弱はまだダートでした。実に雰囲気のあるトンネルで、私の好きな峠の一つです。
 
 この時は奥多摩側から松姫峠を越えて、深城まで下り、そこから峠目指して走り始めました。ちなみに自転車は片倉のロードで、インローでも39×22Tでした。雨がポツポツ降り始めた中をインロー入れっ放しで深城から3時間。ようやく峠に着きましたが、いざ下り始めると道は途中で終わりとなり、結局引き返したのでした。
大峠 その2






御所平峠(1,790m)
長野県諏訪郡富士見町
1979/08/06
 写真は前後しますが、前年の武石峠に続いて、大峠の登り途中でまたもフリーが分解してしまいました。これは修理中の一コマです。ちなみに変速機はサンツアーVラックス、フリーはサンツアーパーフェクトです。ベアリングは砂利の中に落ち、半分くらいしか発見できず、表裏に半分ずつ入れてなんとか走れるようにしました。  この年の夏ツーリングは、長野県の富士見から入笠山〜杖突峠〜諏訪湖〜蓼科高原〜浜平〜秩父〜青梅と、信州・西上州・秩父をぐるっと周回するランでした。写真は入笠山直下の御所平峠付近です。中央線富士見駅から一気に900m登り詰めました。
大河原峠(2,093m)
長野県北佐久郡立科町−北佐久郡立科町望月町
1979/08/08



大河原峠 その2


 74年に続いて2回目の大河原峠は快晴に恵まれました。  大河原峠からの眺望です。まさに雲上からの眺めです。
麦草峠(2,127m)
長野県茅野市渋川温泉−南佐久郡八千穂村
1979/08/08
武道峠(1,560m)
長野県南佐久郡北相木村−群馬県多野郡上野村
1979/08/08
 大河原峠から大石川林道に入り、途中の分岐地点から熊笹をかき分け、深い原生林の中を担ぎも含めて1時間強費やして、麦草峠に到着しました。私が越えた峠の中では大弛峠に続いて2番目に高い峠です。峠を越えて八千穂村に一気に下り、小海を経て西上州に向かいました。  上信国境にはいくつも峠がありますが、ここは比較的新しい峠です。信州側からの上りはそれほどでもありませんが、峠から上野村三岐まで約12キロのダートの下りはブレーキレバーを握る手が痛かったことを記憶しています。その日は、当時のサイクリストに人気があった浜平鉱泉奥多野館に宿泊しました。
倉掛峠(310m)
埼玉県飯能市
1979/08/09
山王峠(264m)
埼玉県飯能市
1979/08/09
 浜平鉱泉から帰京することにして、志賀坂トンネル〜正丸峠〜子の権現と走り、この峠と右の山王峠を越えて、青梅から自宅まで一気に帰りました。  飯能市や名栗村と青梅の間には低いながらもなかなか趣のある峠がいくつもあります。最近は行っていませんが、どうなっているのかな。
 なんか久し振りに行ってみたい気がします。
信州峠(1,460m)
長野県南佐久郡川上村−山梨県北巨摩郡須玉町
1979/08/21




木賊峠(1,700m)
山梨県北巨摩郡須玉町
1979/08/21
 何度も走っている信州峠〜木賊峠コースですが、この時はまだ越えたことがない友人の案内役として走りました。写真で見てわかるように、すでに手前の信州側は舗装されていましたが、この頃から甲州側の舗装工事も始まっていました。  この日は朝から天気が悪かったのですが、木賊峠の手前で本降りとなり、峠ではポンチョまで着るはめとなりました。時々すぐ横で雷鳴が聞こえる中を、ハブ軸までつかるような水たまりに突っ込んだり、まるでグリップしない後輪をずりずりドリフトさせたりして、開き直って下りを楽しんだ記憶があります。甲府駅に到着した時、甲子園で箕島高校が春夏連続優勝したという放送を聞いたことがなぜかはっきり憶えています。
馬引沢峠(330m)
東京都青梅市駒木町−西多摩郡日の出町
1979/11/30
馬引沢峠 その2






 1970年代最後の峠は、東京の青梅市にある晩秋の馬引沢峠でした。ここは今でも山道のようですが、この日も前日の雨のため、枯れ葉の積もった山道はぐちゃぐちゃでした。ちなみにこの一帯の峠は、ニューサイクリング誌のツーリングレポートで、高野氏という方が詳細を書いておられて、随分参考にしたものでした。  馬引沢峠を下り、しばらく走って林道にでた時の写真です。すすきが印象的でした。

 

   第1:197 4〜1976年に戻ります   第3:1980〜1986年に進みます

inserted by FC2 system