追憶のカタログ展Part91:1968年 光風自転車(ケンコー)

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追憶のカタログ展

− Part91:1968年 光風自転車(ケンコー) −


光風自転車は、私も詳しくはわかりませんが、どちらかと言えばスポーツ車が得意だったメーカのようです。このカタログには「ケンコー」というサブネームが付いていますが、商号履歴を調べてみますと、1969年12月1日をもってゼブラ自転車に吸収合併されて、ゼブラケンコー自転車という商号に変わっています。その後、ゼブラケンコー自転車は1976年5月に岡本理研ゴムと合併、1985年10月にはオカモト株式会社に商号変更しています。自転車事業をいつ頃まで継続していたのかはわかりません。以上の履歴からみると、今回ご紹介するこのカタログは光風自転車としての最後の方のもので、バインダー形式の販売店用のものと思われます。私がよく見ているこのホームページによると、光風自転車には優秀なスタッフが多く、他のメーカーに散らばっていった方も多いようです。

以下、全60ページの画像が掲載されていて、やや重たいかもしれませんがご容赦下さい。

注.下記の画像は本ホームページではあくまで趣味の範囲での使用に限定するものとして掲載しております。


表紙です。手前はKH-10アブです。

ラインナップ一覧。

社長の挨拶文。サインがなかなか格好いいですね。

ロードレースなどで優秀な成績を収めたことを示すトロフィーの数々。

未舗装の悪路を走る選手の姿が時代を感じさせます。

ここから3ページにわたって、フレーム素材やオリジナルパーツの特徴を紹介しています。ナベックスのフォーククラウンやラグ、マイクロアジャスターヘッド小物、カンテイブレーキ台座などとともに、逆爪専用1本スタンドやスピードメーター用ハブなどが紹介されています。


 

 

ここから各車種の紹介となります。
最初はロードレーサーのKS-27Rで、当時の国産最高級レーシングパーツを装備しています。チェーンホイールは、アームに穴が開けられておらず、PCDも151mmで最小歯数44Tの杉野マイティコンペ。リヤ変速機はサンツアーV初期型、フロント変速機はトップノーマルのサンツアースパート。ブレーキはダイヤコンペセンタープルです。サドルは藤田シームレスで座面はプラスチック剥き出しです。ステムは日東ダイナミックのようですからハンドルバーも日東でしょう。ペダルは三ヶ島ユニークロード。
1970年代初頭まで、各社の最高級ロードレーサーはほとんどこの車種と同様のパーツ構成でしたね。
当時の大卒初任給は約3万円ですから、52000円という価格を現代に置き換えてみると約35万円弱となり、やはり相当高価だったことがわかります。


 

 

レコードエースKS-27Pです。ロードレーサーにマッドガード、キャリア、ブロックダイナモを装備したような車種で、当時は俗に27インチ10スピードと言われていました。チェーンホイールはスチールコッタードのようですが、歯数が50×48Tと、今では考えられない超クロスレシオです。


 

 

4サイドのキャンピング車のアルピナKA-10Cです。変速機はサンプレックプレステージ3点セット、ブレーキはマファックのように見えますが、もしかしたら東京ブレーキのクロスボウかもしれません。ギヤ比はF48×36T、R15-28Tで、当時としてはワイドレシオだったようですが、現代のコンパクトドライブのロードバイク程度ですね。スピードメーターも標準装備で専用フロントハブに接続されています。


 

 

こちらはリヤサイドバッグとフロントバッグを装備した旅行車のアルピナデラックスKA-10D。デラックスというだけあって、クロームモリブテン鋼のチューブにナベックスラグでまとめられたフレームに、サンプレックスプレステージ変速機、マファックドライバーカンティブレーキとギドネットレバー、ノルマンディハブ、ユーレウイングナット、JOSのダイナモとヘッドランプなどのフランス部品が装備されています。チェーンホイールも杉野プロダイナミックコッタードです。価格も当時としてはかなり高価です。


 

 

4サイドのキャンピング車のアルピナKA-10。同じキャンピング車のKA-10Cと価格は同じですが、パーツもフヌレームも相違点が多いです。キャンピング車を2種類出していたのか、モデルチェンジ前後なのかはわかりません。変速機は前後とも三光舎プロキオンです。


 

 

小旅行車ジャニーKD-10。リヤパニア台を装備したツーリング車で、カンティブレーキにギドネットレバー、サンプレックスプレステージ変速機を装備しています。ハブは当時スギノも輸入していたアトムですね。ブリヂストンのSS-10あたりと同クラスでしょうか。


 

 

小旅行車ジャニーKD-5。前項のKD-10のフロントシングルギヤタイプです。


 

 

アブKH-10。チェーンケース、セーフティレバー、ステムに取り付けられたシフトレバーなど、どちらかと言えば日常用スポーツ車です。フロント変速機がダイヤ(吉貝)、リヤ変速機がサンツアースキッター、ブレーキはダイヤコンペサイドプルです。ハンドルの真ん中には100mm径のカバー付き大型ヘッドランプが装備されており、この辺りが「スポーツ車のマンネリズムを破った、まったく新しいタイプ」というところでしょうか。


 

 

アブKH-10B。こちらはハンドルバーがオールランダーです。


 

 

アブKH-5B。こちらはハンドルバーがオールランダーです。


 

 

ジャックKJ-5A。ツインランプ、セーフティレバー、ビニール張りサドルなど、当時は通学用にも使われたタイプのスポーツ車です。ブリヂストンでいうと、スプリンターやシャインスターというところでしょうか。そんな自転車ですが、変速機はしっかりサンプレックスですね。


 

 

ジャックKJ-5B。こちらはハンドルバーがオールランダーです。そういえば当時は通学用自転車にドロップハンドル禁止という学校も多かったですね。


 

 

ジュニアKC-10。年少者向けに490mmというフレームサイズも用意されています。またロングシフトレバーやスピードメーターも装備されており、扱いやすさと年少者が好む格好良さもセールスポイントだったのでしょう。付属品のオイル入りポンプはポンプ上部に油差しが内蔵されているもので、これなどは今有ってもいいかもしれませんね。


 

 

ジュニアKC-5A。こちらはフロントシングルの5段変速仕様です。


 

 

ジュニアKC-5B。こちらはオールランダーバー、フロントシングルの5段変速仕様です。付属品のオイル入りポンプの図解が掲載されています。


 

 

ワイドKW-5。その名の通り、15-28Tという、当時としてはワイドレシオのフリーホイールが装備されています。「勾配12%の山まで征服できる」とやたら具体的に書いていますが、脚力について全く触れていないのがなんとも。ハンドルはいわゆるセミドロップですが、ラウターワッサー型なんていう説明をわかっている人はどのくらいいたのでしょうか。


 

 

マーク・エイトKMは、フィックスドギヤとフリーを装備したダブルコグタイプで、当時このような自転車が販売されていたのは、その昔の英国風自転車の名残りなんでしょうか。ウイングナットはユーレです。


 

 

フラッシャーKE-5は、一時期少年用スポーツ車の世界に花開いた電子フラッシャー装備です。「日本で初めて」というコピーは他社のカタログでも見掛けた記憶がありますが。しかし、左折はともかく右折も簡単に出来るという説明はむしろ危険な気がしないでもありません。


 

 

ヤングKY-4Aは通学兼用スポーツ車で、フロントキャリアは通学鞄を引っ掛けられるようになっているようです。フリーホイールは4段です。「普通の」という意味でしょうか、オーディナリータイプという区分になっていますね。


 

 

ヤングKY-4Bも通学兼用スポーツ車で、KY-4Aとは異なり、通学鞄はリヤサイドの折りたたみ式キャリアに入れるようになっています。昔は後付けでこの折りたたみ式キャリアを取り付けたスポーツ車での通学はごく普通に見られました。現代の学生さんはほとんどがいわゆる「ママチャリ」で、たまにスポーツタイプの自転車での通学を目にすると、「おっ、珍しい」なんて思います。


 

 

カトレヤKL-4はミキスト型フレームに4段ギヤを装備した女性用スポーツ車です。当時としては洒落たフレンチテイストの自転車ですね。


 

 

プリンセスKPL-4はスタッガード型フレームに4段ギヤを装備した女性用スポーツ車です。ブレーキレバーの支点に取り付けられたシフトレバーは、現在の手元シフトのご先祖様ですね。


 

 

キャシイK-24は小学生用スポーツ車です。この当時にどのくらい需要があったかはわかりませんが、3段ギヤも装備していて、お兄さん、お姉さんの乗っているスポーツ車に憧れた子供達もいたのかもしれませんね。しかし革サドルはどうなんでしよう。


 

 

ジャイアンツKG5-1はいわゆるジュニアスポーツで、当時の定番のツインヘッドランプが装備されています。スピードメーターも標準装備です。シリンダー錠がシートステーに直付けなのが特徴的です。


 

 

ジャイアンツKG5-2はKG5-1からスピードメーターが省かれたモデルのようです。


 

 

ジャイアンツKG5-3はハンドル形状がアップ、フラット、セミドロップに変えられる万能マイテイハンドルが装備されています。


 

 


それにしても、当時のカタログには数多くのスポーツ車がラインナップされていますが、ドロヨケ無しはロードレーサーのみというのが現代のラインナップと一番大きな違いのような気がします。価格も現代の物価と比較すると圧倒的に高価で、当時はまだまだ自転車は貴重品だったことがわかります。メーカーカタログに分割払い価格が明記されていることから、お子様に自転車を買ってあげる親御さんも「月賦」で買う場合も多かったのかもしれません。


 

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