追憶のカタログ展Part80:1974年 シマノ商品カタログ

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追憶のカタログ展

− Part80:1974年 シマノ商品カタログ −


 Part80は1974年のシマノ総合パーツカタログです。前年の1973年にはデュラエースを発表し、本格的なレーシングコンポーネントの市場に参入していますが、このカタログにはそれ以外のパーツが掲載されていて、当時のシマノのラインナップがよくわかるものになっています。また各ページのイラストの画風というかタッチは、いかにも1970年代という気がします。

このカタログはH・K様のご協力により掲載致しました。この場を借りて御礼を述べさせていただきます。

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表1(表紙)と表4(裏表紙)です。

表2には、前年の1973年からスポンサードを開始したヨーロッパのプロチーム「シマノフランドリア」のエースであるウォルター・ゴッドフロート(Walter Godefroot)のレースシーンが掲載されています。ゴッドフロートは1964年の東京オリンピック個人ロードレースで3位入賞後、1965年から1970年代後半までプロとして活躍し、多くの著名なレースで勝利をあげている名選手の一人です。2007年にはアスタナチームの監督もつとめています。右ページは初代デュラエースですが、「珠玉の名作」というキャッチフレーズはいささか早過ぎる感もありますね。

 ここからが商品説明となります。最初はシマノが大きくなるきっかけとなった3スピード内装ハブです。1957年に生産に着手して、その後日本国内におけるヒット商品となりました。その後1965年にはアメリカに販売拠点も設立しています。

 この2ページはリヤディレイラーの紹介です。クレーン・タイトリスト・ターニーは基本構造とデザインは共通ですが、材料と仕上げで差をつけています。ラーク・イーグル・スカイラークはいずれもマスプロメーカーの普及クラスのスポーツ車によく使われていました。イーグルはパンタグラフ本体を覆うようなガードが付いているのが特徴です。

 こちらはフロントディレイラーとシフトレバーです。タイトリストはパンタグラフ部の構造が初代デュラエースとよく似ています。サンダーバードと50はオールスチールです。シフトレバーはフリクション式、ワンウェイクラッチ式、釣り合いバネ式の3種類です。

 こちらは当時のジュニアスポーツ車や変速機付き軽快車に使用されていたシフトレバーです。自動車のシフトレバーをイメージしたコンソールタイプのものは少年達の憧れでしたね。このカタログのものはまだフリクションタイプですが、その後位置決め機構付きのものが登場し、その原理は後年のSISシステムを経て、STIシステムに発展しています。

 こちらはディクスブレーキです。まだ油圧ではなくメカニカル式です。高級なジュニアスポーツ車に採用されていました。

 キャリパーブレーキとコースタープレーキ、ブレーキレバーです。オートアジャストの仕組みはよく覚えていませんが、確かに自動調整されていた記憶があります。サイドプルとセンタープルはいずれも当時のダイヤコンペの亜流というイメージがあり、使用している例はあまり見た事はありませんでした。

 当時のシマノのフリーと言えば、この1枚飛びの歯が特徴のオルターネートギヤです。5段で14-34をカバーしており、ジュニアスポーツ車の少年達はこの巨大なギヤで近所の坂を登ったものです。

 各種ハブが掲載されています。クイック式は1種類のみで、各種車種向けに専用タイプが生産されていました。私と同じような世代の方には、当時クイックハブが高嶺の花で、まずはウイングナットを着けたという方もおおいのではないでしょうか。

 スポークプロテクターと工具です。スポークプロテクターはフリーホイールのローギヤ歯数によって大きさの異なるものがラインナップされていたのですね。

 最後のページは当時普及し始めたミニサイクル用のパーツをまとめて紹介しています。現在の小径車とはやや位置づけが異なり、当時のミニサイクルはあくまで日常の買い物用の自転車として爆発的に売れました。サドルを下げると足がベッタリと地面に付く事から、特に女性には安心感があったようです。


  このカタログを見る限り、当時のシマノはまだ一般車向けパーツ中心のメーカーだった事がよくわかります。私がサイクリングとスポーツ車に興味を憶えたのがまさにこの頃ですが、初代デュラエースを発売していたものの、どちらかというと、サンツアーのほうが本格的なスポーツ車用部品メーカーだったようなイメージがあります。しかし、位置決め機構付き変速レバー、超ワイドレシオフリー、ディスクブレーキなど、当時のジュニアスポーツ車の部品の考え方が、その後のロードやMTBのコンポーネントパーツにも生かされている事を見ると、技術の蓄積が今のシマノを作ったのは間違いのないところであると言えるのではないでしょうか。

 

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