追憶のカタログ展Part67:196?日米富士自転車

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追憶のカタログ展


− Part67:196?
日米富士自転車 −

 Part67は1960年代中盤と思われる日米富士自転車のスポーツ車カタログです。日米富士自転車は1899年に創業、翌年1900年に『日米商会』の商号で設立されました。当初はアメリカ製自転車の輸入販売からスタートし、その後1950年代後半にはアメリカへの輸出を開始しているようです。国内においても、電子ウインカー付きジュニアスポーツ車をいち早く発売しています。また自転車競技の世界でも、競輪/アマチュア問わずひろく使われていたようですし、オリンピックというブランド名でロード/トラック/ランドナーなどの本格的スポーツ車を広く展開していました。その後、1996年に東食(当時の中堅商社)に吸収合併されますが、その東食自体も事実上倒産してしまいます。最終的に自転車部門はアメリカ資本に売却されましたが、現在も健在で日本にも輸入されています。

 以下、広げるとB3版となるカタログの全ページを紹介します。なおそれぞれの画像をクリックすると、横1280ピクセルの拡大画像が別ウインドウで表示されます。

本カタログは埼玉のP・Y様のご協力により掲載致しました。この場を借りて御礼申し上げます。

 注.下記の画像は著作権保護対象と思われますが、本ホームページではあくまで趣味の範囲での使用に限定するものとし、特に著作者には届出しておりません。著作権保持者や関係者の方は、何かございましたら、即刻削除等の処置を致しますのでご連絡下さい。


表紙です。写真の少年達は60年代の雰囲気満点ですね。

変速ギヤの使い方について、図表を用いた詳しい解説をしています。

このページは本格的スポーツ車が掲載されています。ロードとグランドキャンピングは\45,000ですが、この当時の大学初任給との比較で換算すると、現代では約\400,000以上となると思われます。
また、この2台にはカンパのリヤ変速機、ワインマンやマファックのブレーキなどが採用されています。

ロードレーサーの拡大画像です。チェーンホイールは杉野プロダイナミックでギヤレシオは当時のスタンダードの51×47T、14〜21Tというものです。サドルは藤田シームレスの初期タイプでしょうか。

こちらはトラックレーサーです。チェーンホイールは中空クランクの杉野ダイナミック、ステムは日東スライダーでしょうか。

前後サイドキャリアを装備したグランドキャンピングです。変速機はサンプレックスプレステージ、ブレーキはマファッククリテリウムのようです。東京ボトルのアルミボトルが懐かしいですね。

このページは中級スポーツ車のラインナップです。ツアー、ハイカーという車名が当時を物語っています。当時長距離ツーリングをサイクリングツアーと呼び、そのための自転車はツアー車と言われていました。ツアースリーは外装3段変速、ツアーフォアは4段変速、そしてツアーファイブは5段変速です。

スピードモデルのクラブランはカンパのリヤ変速機、ワインマンセンタープルブレーキ、TAのボトルなどが採用されています。またライトはJOSのように見えます。車名からして、英国のクラブモデルの流れをくむ自転車のようです。ホイールサイズは27インチで、現在の700Cよりも外径は大きくなっています。

クラブランの拡大画像です。当時としてはかなりマニアックな自転車だったのではないでしょうか。

こちらはジュニア層向けのスポーツ車です。ジュニア向けとして一回り細めのハンドルバーや、通学や日常使用を想定したチェーンケースなどが装備されており、目的に応じた設計をしているように思います。

裏表紙です。この当時はまだ本社は上野にありましたが、その後70年代には町田に移転しているはずです。この頃の富士自転車は歴史もあり技術力の高い大手メーカーでした。高体連の貸与車、タンデムトラックレーサーなどは、富士のシェアが大きかったと思います。


日米富士自転車は現在ではアメリカンブランドのFUJIとなり、輸入車として日本国内で販売されていますが、そのルーツは明治時代にあり、宮田・丸石と並んで歴史のあるメーカーでした。
ちなみに現在の日本の自転車業界は実に9割近くが輸入というのが現実です。

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