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追憶の峠みち

 このページでは、1974年から1986年にかけて走った峠みちの風景を当時撮影した写真でご紹介しています。(峠そのものだけでなく、走っている時に気に入った写真の場合もあります)
 「懐かしい」と思われる方、「昔はこんなだったんだ」と思われる方など、ご覧いただく人によってさまざまと思います。

第1章:1974年〜1976年

 サイクリング趣味を始めて1年目からの3年間、峠越えツーリングに目覚めた時代です。当時はダートの林道もまだまだ多く、このページの写真の多くもダートです。現在はほとんど舗装された峠ばかりですし、中には新道開設とともに廃道となった道もあります。


  1. 和田峠(688m):1974年1月2日
    神奈川県津久井郡藤野−東京都八王子市上恩方
    和田峠(688m) 高校1年の冬休みに、初めての峠越えツーリングで越えた峠。東京のサイクリストなら一度は越えると言われたメジャーな峠です。
     当時は長いダートが続き、初心者の私は「これが峠越えなんだな」といたく感激したものでした。
     写真は神奈川県側の峠手前から下方に見えるヘアピンカーブで、ずいぶん登ったんだなあと思って撮影しました。





  2. 刈場坂峠(850m):1974年5月4日
    埼玉県比企郡都幾川村
    刈場坂峠(850m) 高校2年のゴールデンウィークにクラスメートと2人で奥武蔵ツーリングに出かけました。
     写真は当時出来たばかりの奥武蔵グリーンラインの最初の峠「刈場坂峠」です。上り下りが激しく、友人ともに閉口した記憶があります。













  3. 三国峠(1,754m):1974年8月5日
    埼玉県秩父郡大滝村−長野県南佐久郡川上村
    三国峠(1,754m) 高校2年の夏休みに初めての本格的輪行峠越え信州ツーリングを敢行し、最初に越えた峠です。
     埼玉県側から中津川林道の荒れたダートを延々さかのぼり、登ってきた荒々しい風景と峠から見た信州の穏やかな風景のギャップに驚きました。
     写真の奥の自転車が私の丸石エンペラー、手前は秩父ユースホステルで一緒だった大学生の方の山王製ランドナーです。当時オーダー車に憧れを抱き始めた私は、各地でオーダー車を見るたびに羨望の眼差しを向けていたものでした(笑)








  4. 信州峠(1,460m):1974年8月5日
    長野県南佐久郡川上村−山梨県北巨摩郡須玉町
    信州峠(1,460m) 上の三国峠を下り、引き続き信州峠を越えました。
     写真は登りの途中で振り返って写したものですが、当時はこのようにダートが続いていました。
     信州峠はその後も何度となく訪れていますが、ダートの時代も今は昔、といった感がありますね。







  5. 大河原峠(2,093m):1974年8月9日
    長野県北佐久郡立科町−北佐久郡立科町望月町
    大河原峠(2,093m) 大河原峠はその後も何度か越えていますが、この時が最初でした。
     立科白樺高原ユースホステルから御泉水自然園を経由して、この当時はまだダートの林道夢の平線を登って行きました。
     当時書いたレポートには「そんなにきつくないので、アッという間に峠に着いた」とあります。ちなみにギヤはF50-36/R15-24Tでした。やっぱり若かったんですね(笑)





  6. 入山峠(600m):1975年2月9日
    東京都あきるの市−八王子市
    入山峠(600m) ここは東京のサイクリストにとっては今ではとてもメジャーな峠です。当時は荒れたダートが続き、峠が終点でした。まだ植林も進んでいなくて、ご覧の通り荒々しい雰囲気でした。









  7. 鶴峠(885m):1975年3月17日
    山梨県北都留郡小菅村
    鶴峠(885m) 当時は松姫峠との分岐地点の子永田からダートが続き、結構勾配もきつい峠道でしたが、ソーヨー#100のチューブラータイヤを履かせた片倉シルクのロードレーサーで越えました。今はもちろん100%舗装となり道幅も拡張されていて、当時の面影はありません。







  8. 鳥居峠(1,362m):1975年8月11日
    長野県小県郡真田町−群馬県吾妻郡嬬恋村
    鳥居峠(1,362m) この年の夏ツーリングは菅平高原から軽井沢を経由して高崎あたりまで走りました。鳥居峠は国道144号線の上信国境の峠です。















  9. 二度上峠(1,381m):1975年8月12日
    群馬県吾妻郡長野原町−群馬県倉渕村
    二度上峠(1,381m) 前日の鳥居峠を越えて北軽井沢に入り、翌日、二度上峠を越えました。当時はもちろんダートです。
     その時のレポートによれば、「ほんの50m押しただけで登り切った」とありました。
     当時は片倉シルクのロードレーサーしか所持していなかったので、マッドガードとフロントキャリヤを無理矢理装着して、帆布製のフロントバッグに荷物をパンパンに詰め込んで走っていました。









  10. 二度上峠 その2
    二度上峠(1,381m) 二度上峠から下る道の遠景。かなり山肌を削って作った道のようです。










  11. 風張峠(1,146m):1976年5月11日
    東京都西多摩郡奥多摩町−東京都西多摩郡檜原村
    風張峠(1,146m) 今は無料ですが、当時は「奥多摩有料道路」といって、自転車は50円でした。元気なことに調布の自宅から全走で走っていました。
     この時は山岳コースに備えて、5段フリーを14〜27Tに交換して出かけていました。ちなみにチェーンホイールはプロダイナミック+サンプレックスの50×40T、RDはサンプレックス、ブレーキはマファックコンペティションでした。
     この頃はパーツをしょっちゅう交換するのが楽しかったようです。










  12. 馬越峠(1,650m):1976年8月14日
    長野県南佐久郡南相木村−長野県南佐久郡川上村
    馬越峠(1,650m) この年、念願の650Bツーリング車をオーダーし、夏の信州ツーリングに出かけました。
     小海線の小海駅を出発、その日最初の峠がここ馬越峠でした。半分は自分でやらせ気味にセルフタイマー使っていますが、実際にも結構へばっていたようです。
     この峠は非常に開放感が感じられる峠で、前方に広がる裾野が印象的です。










  13. 信州峠(1,460m):1976年8月14日
    長野県南佐久郡川上村−山梨県北巨摩郡須玉町
    信州峠(1,460m) この切り通しが当時の信州峠です。現在の峠に比べると道幅は半分以下という感じです。










  14. 木賊峠(1,700m):1976年8月15日
    長野県南佐久郡南相木村−長野県南佐久郡川上村
    木賊峠(1,700m) この写真は峠手前の木賊平というあたりです。当時は何しろ静かな幻想的な草原地帯という感じがして、私のお気に入りの場所の一つでした。現在ではこの辺りの林道がほとんど舗装されて、クリスタルラインという名前の高原ドライブルートとなっています。












  15. 観音峠(1,376m):1976年8月15日
    山梨県北巨摩郡須玉町−山梨県中巨摩郡敷島町
    観音峠(1,376m) 観音峠は、木賊峠から甲府方面に下る途中の峠です。この時は650Bといってもウォルバースーパーランドナーという35B舗装路用タイヤだったのですが、荒れた路面で全然グリップせず、難儀しました。













  16. 道坂隧道(1,050m):1976年8月17日
    山梨県都留市−山梨県南都留郡道志村
    道坂隧道(1,050m) この写真は現在の道坂トンネルではなく、旧道坂隧道です。奥にはバス停の標識が見えています。
     現在はコンクリートで塞がれているばかりか、特に都留市側の旧道はほとんど意図的に消失させられているようです。








  17. 和田峠(688m):1976年10月5日
    神奈川県津久井郡藤野−東京都八王子市上恩方
    和田峠(688m) 写真は和田峠から山肌を巻いて登った陣馬山頂上です。同行した知人と私の自転車は、ご覧の通りのロードレーサーです。2台ともかつて定評のあった片倉シルク号です。










  18. 和田峠 その2
    和田峠(688m) 写真は和田峠から八王子方面に下り始めた知人を撮影したものです。和田峠も一体何回走ったか定かでないほどですが、この頃の陣馬街道は、まだかなり下までダートが続いていた記憶があります。









  19. 吹上隧道(222m):1976年11月2日
    東京都青梅市黒沢−東京都青梅市成木
    吹上隧道(222m) 吹上峠には現在3つのトンネルがありますが、この写真は通称「昭和トンネル」といわれるものです。3つめのトンネルは平成になって作られたものですから、当時は2つということになります。
     このトンネルの上には明治トンネルもありますが、今や心霊スポットにもなっているらしいです






  20. 梅ヶ谷峠(310m):1976年11月2日
    東京都青梅市和田−東京都西多摩郡日の出町
    梅ヶ谷峠(310m) この峠も今は当然舗装されており、クルマの交通量も多いですが、当時はダートで、切り通しの両側はススキが所狭しと風にそよいでいました。









  21. 松姫峠(1,250m):1976年11月9日
    山梨県北都留郡小菅村−山梨県大月市
    松姫峠(1,250m) 松姫峠は今に至るまで私のお気に入りの峠のひとつです。
     この写真が初めて越えた時のもので、当時は鶴峠との分岐地点の子永田から長いダートが続く峠道でした。














  22. 松姫峠 その2
    松姫峠(1,250m) この写真は峠の碑に置いたカメラのセルフタイマーで峠に到着した自分を撮影したものです。















  23. 松姫峠 その3
    松姫峠(1,250m) この峠の碑は今も変わらぬ姿でどっしりと建っています。











  24. 松姫峠 その4
    松姫峠(1,250m) 峠を大月側に約400mほど下った右ヘアピンカーブを曲がると、この景色が広がります。松姫峠を訪れるサイクリストの多くは多分思わず息をのむ眺望でしょう。猿橋までは標高差1,000mのダウンヒルとなります。
     なお、2014年(平成26年)にこの峠の下を貫く松姫トンネル(3066m)が完成して松姫バイパスが供用開始されたことによって、残念ながら大月側からは通行止めとなり、松姫峠には小菅側からのみの通行となっています。











第2章:1977年〜1979年

 この3年間は、甲州、信州を中心として、比較的標高の高い各地の峠を盛んに走っていた時代です。 また東京の奥多摩方面の峠も日帰り中心によく走りに行っていました。脚力もこの頃がピークだったようで、F28×R21Tで走れない峠はないと思っていました。


  1. 入山峠((600m):1977年1月4日
    東京都あきるの市−八王子市
    入山峠(600m) 入山峠に至る盆堀林道は、手軽な日帰りコースとして毎年のように訪れていました。この頃もまだ峠が終点です。
     この写真は正月休みに、アルバイト先の人達と「峠で餅を焼いて食べよう」という名目で出かけた時のものです。冬枯れの峠の日だまりの中で、餅を焼き、コーヒーを湧かして食後の昼寝を楽しむ・・・そんなプランでした。クルマ(ケンメリスカイライン)が時代を語っています。





  2. 入山峠 その2
    入山峠(600m) この頃はアルミボトルを直接火にかけて、お湯をわかすのが普通でした。峠に着いてから、石をつみあげて簡単なかまどを作り、持参した網の上で餅を焼いて食べました。









  3. 陣馬山頂上にて(857m):1977年3月26日
    神奈川県津久井郡藤野−東京都八王子市上恩方
    陣馬山頂上にて(857m) 高尾山から小仏峠〜景信山〜明王峠〜陣馬山〜和田峠に至る裏高尾縦走コースは、当時の東京のサイクリストにとって、山サイの入門コースという位置付けにありました。
     私はハイカーで混雑する高尾山は避けて、いつも小仏峠から走っていました。冬から初春に入る頃が空気も澄んで走るには良い季節です。











  4. 松姫峠(1,250m):1977年1月4日
    山梨県北都留郡小菅村−山梨県大月市
    松姫峠(1,250m) 松姫峠越え2回目の時です。友人はパスハンター、私はロードで、ローギアはF42×R21Tでした。う〜ん、元気があったなあ。









  5. 松姫峠 その2
    松姫峠(1,250m) 松姫峠を大月側に下って、『国鉄』中央本線の鳥沢駅で自転車を分解したところです。いかにも地方の典型的ローカル駅といった風情です。
     輪行袋やフロントバッグも帆布製で、当時の様子がよく出ています。







  6. 木賊峠(1,250m):1978年5月14日
    山梨県北巨摩郡須玉町
    木賊峠(1,250m) 私のお気に入りの木賊峠手前の木賊平です。
     当時は新宿発長野行き普通夜行列車441Mというのがあって、23時55分発のこの列車は山屋さんやサイクリストに人気でした。新宿駅のホームには多いときには20人くらいのサイクリストが輪行袋をしょっていました。
     私も夜行日帰りで木賊峠方面に行く時はいつもこの列車を利用し、小淵沢で小海線始発列車に乗車、信濃川上駅から木賊峠に向かっていました。 









  7. 木賊峠 その2
    木賊峠(1,250m) 同行した友人が撮ってくれた木賊峠ダウンヒルシーンです。この頃はダートの下りが今よりかなり速かったです。
     もっとも、この時はもう少し下って観音峠を過ぎたあたりで大転倒をやらかし、お気に入りのベルリーのハンドルバーがぐにゃりと曲がるは、リオター#460のペダル軸が曲がるは、甲府駅に着くまで肘の出血が止まらず包帯は真っ赤になるはで、さんざんでした。
     その時以来、救急用品の充実が図られる事になり、今や巷では「走る救急箱」と言われています。



  8. 大ダワ峠(1,000m):1978年6月1日
    東京都奥多摩町−東京都檜原村
    大ダワ峠(1,000m) 大ダワ峠は奥多摩から五日市に抜ける鋸山林道の峠です。写真の遥か下に青梅街道からの林道分岐が見えます。この上りは距離はさほどありませんが、結構勾配がきつかった記憶があります。
     650×38Bタイヤ、帆布製フロントバッグ、単1×3本の探見ランプ(反対側にはソービッツお団子ヘッド直付)、ユニバーサルブレーキレバー、MAFACライドセンタープル、GBステム とアディーのベル、サンプレックス変速レバー、レフォール亀甲ガード等々、いかにも当時のランドナーです。下りでは、ブレーキレバーを握りしめる手が痛かったなあ。 









  9. 大ダワ峠 その2
    大ダワ峠(1,000m) 鋸山林道は路面状態が悪く、しょっちゅう崩壊していました。これは峠手前1kmあたりですが、完全に崩れています。左側の斜面を自転車を担いで、そろりそろりと進みました。渡り終えた時はホッとしました。 














  10. 大ダワ峠 その3
    大ダワ峠(1,000m) ここが大ダワ峠。ここから五日市方面に下ると神戸岩という奇岩があり、東京では結構有名なところです。ちなみに鋸山林道も、今は完全舗装となっています。 









  11. 保福寺峠(1,345m):1978年8月15日
    長野県小県郡青木村−東筑摩郡四賀村
    保福寺峠(1,345m) 峠からの日本アルプスの眺望が素晴らしいこの峠は、サイクリストのみならず登山者にも良く知られています。古来、東山道がこの峠を越えており、奈良・平安時代から利用されていた峠です。
     また日本アルプスを世界に紹介したウェストンもここからの眺めに魅せられたからというのは有名な話ですね。
     写真は上信国境を写したもので、はるか前方が菅平方面です。 





  12. 保福寺峠 その2
    保福寺峠(1,345m) 保福寺峠全景です。この時はここから蝶ヶ原林道をさかのぼり、三才山峠を越えて武石峠に向かったのですが、上りが続き、水場もなく、なにしろ暑くて水たまりの濁った水をボトルに詰めたほどでした。
     そんな艱難辛苦だったせいか、三才山峠みちでは写真撮影もしていませんでした。 






  13. 武石峠(1,760m):1978年8月15日
    長野県松本市美ヶ原−小県郡武石村
    武石峠(1,760m) 保福寺峠から蝶ヶ原林道三才山峠を経て、ようやく着いたのがこの武石峠です。
     艱難辛苦の蝶ヶ原林道を走ってきてやれやれと思ったのもつかの間、思い出の丘に向かってさらに登っていた最中に思わぬトラブルが発生しました。なんとサンツアーパーフェクト5段フリーのフタがはずれて、ベアリングがすべてこぼれ落ちてしまったのでした。幸いなことにラチェットやバネは残っていたので、とりあえずフタを締めただけで出発し、自転車を押して歩いていき、美ヶ原最高地点の王ヶ頭を目指したというお粗末でした。
     翌日はベアリングの代わりに予備のダイナモコードと針金を入れて応急修理し、扉峠(1,670m。当時、大部分は林道でした)〜和田峠(1,531m)と走り、下諏訪の自転車店でベアリングをわけていただいてなんとか修復したという強烈な想い出があります。 

  14. 権兵衛峠(1,552m):1978年8月17日
    長野県木曽郡楢川村−伊那市西箕輪
    権兵衛峠(1,552m) 今は権兵衛トンネル(4,467 m)を抜けて伊那谷と木曽谷を約30分で結ぶ国道361号線となっている権兵衛街道ですが、当時は峠手前から約4kmは山道でした。雨の中、夏草が茂り、道も消えかかるような状況で、途中でカモシカと遭遇したりして、ひたすら歩いた記憶が鮮明に残っています。写真の私も半分放心状態のようです。
     峠からは林道となり、ひたすら下って国道19号に入り、鳥居トンネルを抜けて木曽路に入ったのでした。 










  15. 景信山手前から見た富士山(727m):1979年5月6日
    神奈川県津久井郡−東京都八王子市
    景信山手前から見た富士山(727m) 総勢5人でゴールデンウィークに裏高尾を縦走した時のスナップです。
     この展望は裏高尾縦走コースで私のお気に入りのアングルで、中央高速道と相模湖を下に見つつ、前方に富士山を遠望するという絶好のビューポイントです。ちょっと絵葉書的ですが。 






  16. 太良ヶ峠(1,123m):1979年6月1日
    山梨県甲府市−山梨県山梨市
    太良ヶ峠(1,123m) このときも新宿23時55分発の441Mに乗り込み、甲府駅を夜中の3時半過ぎに出発して、峠を目指しました。
     晴れていれば峠から富士山や南アルプスが展望出来るのですが、この時は曇り空で霧も出ていて、何も見えませんでした。 







  17. 旧笹子隧道(1,080m):1979年6月1日
    山梨県東山梨郡大和村−山梨県大月市
    旧笹子隧道(1,080m) 太良ヶ峠を下り、その日次に越えたのが旧笹子隧道。ここは旧甲州街道に作られたトンネルで、昭和33年まではこの道が国道20号線でした。この時は峠前後7km弱はまだダートでした。実に雰囲気のあるトンネルで、私の好きな峠の一つです。 








  18. 大峠(1,570m):1979年7月6日
    山梨県東山梨郡大和村−山梨県大月市
    大峠(1,570m) この時は奥多摩側から松姫峠を越えて深城まで下り、そこから峠目指して走り始めました。自転車は片倉のロードで、インローでも39×22Tでした。雨がポツポツ降り始めた中を、インロー入れっ放しで深城から3時間を要して大峠に着きました。
     ところが、いざ下り始めると道は途中で終わりとなり、結局引き返したのでした。 





  19. 大峠 その2
    大峠(1,570m) 写真は前後しますが、前年の武石峠に続いて、大峠の登り途中でまたもフリーが分解してしまいました。これは修理中の一コマです。ちなみに変速機はサンツアーV-LUXE、フリーはサンツアーパーフェクトです。ベアリングは砂利の中に落ち、半分くらいしか発見できず、表裏に半分ずつ入れてなんとか走れるようにしました。 






  20. 御所平峠(1,790m):1979年8月6日
    長野県諏訪郡富士見町
    御所平峠(1,790m) この年の夏ツーリングは、長野県の富士見から入笠山〜杖突峠〜諏訪湖〜蓼科高原〜浜平〜秩父〜青梅と、信州・西上州・秩父をぐるっと周回するランでした。写真は入笠山直下の御所平峠付近です。中央線富士見駅から一気に900m登り詰めました。 














  21. 大河原峠(2,093m):1979年8月8日
    長野県北佐久郡立科町−北佐久郡立科町望月町
    大河原峠(2,093m) 1974年に続いて2回目の大河原峠は快晴に恵まれました。 











  22. 大河原峠 その2
    大河原峠(2,093m) 大河原峠からの眺望です。まさに雲上からの眺めです。 

















  23. 大河原峠 その3
    大河原峠(2,093m) 大河原峠を少し下ったところから大石川林道に入り、麦草峠方面に向かいました。 
















  24. 麦草峠(2,127m):1979年8月8日
    長野県茅野市渋川温泉−南佐久郡八千穂村
    麦草峠(2,127m) 大石川林道途中の分岐地点から、熊笹をかき分け、深い原生林の中を担ぎも含めて1時間強費やして、麦草峠に到着しました。
     私が越えた峠の中では、その後1999年8月に越えた大弛峠に続いて2番目に高い峠です。峠を越えて八千穂村に一気に下り、小海を経て西上州に向かいました。 













  25. ぶどう峠(1,560m):1979年8月8日
    長野県南佐久郡北相木村−群馬県多野郡上野村
    ぶどう峠(1,560m) 上信国境にはいくつも峠がありますが、ここは当時としては比較的新しい峠です。信州側からの上りはそれほどでもありませんが、峠から上野村三岐まで約12kmのダートの下りはブレーキレバーを握る手が痛かったことを記憶しています。
     その日は、当時のサイクリストに人気があった浜平鉱泉奥多野館に宿泊しました。 












  26. 倉掛峠(310m):1979年8月9日
    埼玉県飯能市
    倉掛峠(310m) 翌日浜平鉱泉から帰京することにして、志賀坂トンネル〜正丸峠〜子の権現と走り、この倉掛峠と次の山王峠を越えて、青梅から自宅まで一気に帰りました。 









  27. 山王峠(264m):1979年8月9日
    埼玉県飯能市
    山王峠(264m) 飯能市や名栗村と青梅の間には低いながらもなかなか趣のある峠がいくつもあります。
     後年、この山王峠を再訪した時は、旧道は分断されて、掘り下げた新道の切り通しに変わっていました。 








  28. 信州峠(1,460m):1979年8月21日
    長野県南佐久郡川上村−山梨県北巨摩郡須玉町
    信州峠(1,460m) 何度も走っている信州峠〜木賊峠コースですが、この時はまだ越えたことがない友人の案内役として走りました。
     写真で見てわかるように、すでに手前の信州側は舗装されていましたが、この頃から甲州側の舗装工事も始まっていました。 








  29. 木賊峠(1,700m):1979年8月21日
    山梨県北巨摩郡須玉町
    木賊峠(1,700m) この日は朝から天気が悪かったのですが、木賊峠の手前で本降りとなり、峠ではポンチョまで着るはめとなりました。
     時々すぐ横で雷鳴が聞こえる中を、ハブ軸までつかるような水たまりに突っ込んだり、まるでグリップしない後輪をずりずりドリフトさせたりして、開き直って下りを楽しんだ記憶があります。
     甲府駅に到着した時、甲子園で箕島高校が春夏連続優勝したという放送を聞いたことをなぜかはっきり憶えています。 











  30. 馬引沢峠(330m):1979年11月30日
    東京都青梅市駒木町−西多摩郡日の出町
    馬引沢峠(330m) 1970年代最後の峠は、東京の青梅市にある晩秋の馬引沢峠でした。ここは今でも山道のようですが、この日も前日の雨のため、枯れ葉の積もった山道はぐちゃぐちゃでした。
     ちなみにこの一帯の峠は、ニューサイクリング誌のツーリングレポートで、高野氏という方が詳細を書いておられて、随分参考にしたものでした。 












  31. 馬引沢峠 その2
    馬引沢峠(330m) 馬引沢峠を下り、しばらく走って林道にでた時の写真です。すすきが印象的でした。 










第3章:1980年〜1986年

 この時代になると、サイクリングに出かける頻度が一気に少なくなりました。よくある話ですが、免許を取得してクルマを購入したことで、しばらくはクルマ主体となったのです。もっともドライブも相変わらず林道や峠路中心で、足回りを固めてロールバーを装備したラリー車もどきで走り回っていました。
 その後、就職、結婚、子育ての時期となり、1986年を最後に長い休火山状態に入っていったのでした。 そのようなわけで、あまり写真はありません。


  1. 飯田線伊那市駅にて:1981年8月14日
    飯田線伊那市駅にて この年の夏ツーリングは、ここ飯田線伊那市駅を下車することから始まりました。ここまで乗ってきた電車は、当時もごく僅かしか残っていなかった80系、いわゆる湘南電車の4連です。









  2. 女沢峠(1,294m):1981年8月14日
    長野県上伊那郡長谷村−長野県駒ヶ根市
    女沢峠(1,294m) 伊那市駅から高遠を経由して林道女沢線に入り、女沢峠を越えました。当時は林道開設間もない頃で、荒々しい林道でした。










  3. 中沢峠(1,290m):1981年8月15日
    長野県駒ヶ根市−長野県上伊那郡長谷村
    中沢峠(1,290m) この日は駒ヶ根市から分杭峠を目指しました。中沢峠はT字路になっており、ここから右折して分杭峠に向かいます。










  4. 分杭峠(1,424m):1981年8月15日
    長野県上伊那郡長谷村− 長野県下伊那郡大鹿村
    分杭峠(1,424m) この峠は昔からサイクリストには良く知られた峠です。杖突峠から高遠を経て、分杭峠〜地蔵峠〜青崩峠を越えて静岡県の水窪に達するコースはいわゆる中央構造線に沿っている道です。









  5. 駒ヶ根ユースホステルにて:1981年8月16日
    駒ヶ根ユースホステルにて この写真は宿泊した駒ヶ根ユースホステルの肝試しで一緒になった横須賀の女子高生5人組です。今の"JK"とだいぶ雰囲気が違いますね。この子達も今やウン歳と思うと、誠に感慨深いものがあります。








  6. 赤石隧道(1,200m):1981年8月16日
    長野県下伊那郡蕎木村 −下伊那郡上村
    赤石隧道(1,200m) 飯田市元善光寺から南東に進んで赤石林道に入り、ピークである赤石隧道を越えます。当時は約17kmにわたるダートでした。










  7. 兵越峠(1,160m):1981年8月16日
    長野県下伊那郡南信濃村 − 静岡県磐田郡水窪町
    兵越峠(1,160m) 国道152号秋葉街道の青崩峠は現在に至るまで車道は未開通ですが、その代わりに兵越峠が通じています。はるか下に見えるのは秋葉街道です。この写真は兵越峠越えの途中で撮影したものです。








  8. 峠の民宿みさくぼにて:1981年8月16日
    静岡県磐田郡水窪町
    峠の民宿みさくぼにて この日は兵越峠を越えて水窪ダムを経て、更に登り詰めたところにある民宿に投宿しました。かなり急な登りで閉口しました。











  9. 山住峠(1,107m)へ:1981年8月17日
    静岡県磐田郡水窪町水窪−水窪町門桁
    山住峠(1,107m)へ 民宿から門桁山を巻く林道をひたすら走り、山住峠を目指しました。なにしろ山深い道だった記憶があります。










  10. 山住峠へ その2:1981年8月17日
    静岡県磐田郡水窪町水窪−水窪町門桁
    山住峠へ その2 全くクルマや人と出会わず、とにかく山住峠を目指して黙々とペダルを踏んでいました。










  11. 松姫峠・鶴峠分岐にて:1982年11月3日
    山梨県北都留郡小菅村
    松姫峠・鶴峠分岐にて この日は久し振りに松姫峠を越えようと走っていったのですが、なんと通行止め。と言うことでガッカリしていますね。










  12. 鶴峠(885m):1982年11月3日
    山梨県北都留郡小菅村
    鶴峠(885m) そして通行止めの松姫峠をあきらめて、鶴峠に行きました。当時もまだダートだったと思います。










  13. 旧甲州街道野田尻付近:1982年11月3日
    山梨県北都留郡上野原
    旧甲州街道野田尻付近 鶴峠を越えて上野原に下り、そこから旧甲州街道を探索してみました。下には中央高速が見えています。思いがけず未舗装の狭い道が残っていました。









  14. 鳥居峠付近(900m):1983年5月14日
    山梨県韮崎市
    鳥居峠付近 この年、クルマを購入。TE71カローラ1600GTです。ラリータイヤを履かせて、自転車の代わりに林道をクルマで訪れる機会が増えました。これは小武川林道を鳥居峠に向かう途中の写真です。








  15. 大ダワ峠(1,000m):1983年5月14日
    東京都奥多摩町−東京都檜原村市
    大ダワ峠(1,000m) 5年振りの鋸山林道もカローラで走りました。林道ツーリング中のオフロードバイクと林業作業中のレオーネ4WDバンが懐かしいです。









  16. 犬越路隧道(950m):1983年6月5日
    神奈川県津久井郡津久井町− 神奈川県足柄上郡山北町
    犬越路隧道(950m) 犬越路林道は崩れることが非常に多い林道として有名でした。自転車で越えるための調査と称して、この時もカローラで行きました。なにしろ路面状態が悪く、何度も底を打った記憶があります。








  17. 大垂水峠(372m):1986年5月5日
    東京都八王子市− 神奈川県津久井郡相模湖町
    和田峠(688m) この日は3年振りのサイクリングで、久し振りに和田峠を越えようと、まずは大垂水峠を越えました。峠付近が整備され、まるで昔と違っていたのに驚きました。














  18. 和田峠へ:1986年5月5日
    和田峠へ 和田峠は私の峠越えの原点です。この景色を眺める時、いつも初めて来た時の事を思い浮かべます。














  19. 和田峠へ その2:1986年5月5日
    和田峠へ その2 この時の愛車(ペガサス)です。3年振りのサイクリングですっかり軟弱になった体力では、ストロングライト49Dのギヤレシオは高すぎて、ずいぶんきつい登りでした。










  20. 和田峠(688m):1986年5月5日
    神奈川県津久井郡藤野−東京都八王子市上恩方
    和田峠(688m) とにもかくにも和田峠に到着。この日は体力が追いつかず、そのまま陣馬街道を素直に下り、クタクタになって自宅に帰ったのでした。















以上で「追憶の峠みち」は終わりです。
この頃を最後に、実際にサイクリングに出かける事はほとんど無くなりました。
その後はニューサイクリング誌の購読こそ続けていたものの、1999年の復活まで長い休止期間に入っていくのでした。

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