DIA-COMPE Canti-lever Brake < 番外編 >

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DIA-COMPE Canti-lever Brake

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2009年秋の関戸橋フリーマーケットのある集まりで話題となった吉貝のMAFACドライバ型カンティブレーキについて、手持ち資料で調べてみました。

雑誌ニューサイクリング誌のバックナンバーの新製品紹介ページを調べたところ、記事を見つけました。

  • 1968年9月号:MAFACドライバ型カンティブレーキ発表
  • 1973年7月号:CLB型カンティブレーキ(#960)発表

すなわち、MAFACドライバ型は約5年間にわたって生産・発売されていたということになります。

詳細は以下の画像をご覧下さい。また関連資料として、本ページの最後に雑誌サイクル誌の1957年4月号の技術講座「自転車ブレーキの一般知識」も掲載したので、合わせてご覧下さい。


1.ニューサイクリング誌の新製品メモから  


1968年9月号の新製品メモです。このページでマファックドライバ型が発表されています。


 


次は1973年7月号の 製品ニュースです。このページで#960型(CLBタイプ)が発表されています。 ドライバ型の発表の約5年後ということになります。


 
(拡大画像)


 

2.トモダ ワールドパーツリスト No.1から  


No.1は1974(昭和49)年4月に発行されました。
以下の画像を見ていただくとおわかりのように、このカタログの発刊当時には、ドライバ型#960型(CLBタイプ)がどちらも掲載されています。


 
 

これが表紙です。
ワールドパーツリストは、大阪のサイクルショップトモダが、通販カタログとして製作したもので、その後も何度か増補改訂されて、最後の発行は1993年6月だったと思います。


 
 

43ページ上段左に、今回話題となった「DIA COMPE 」軽カンティSET ドライバ型が掲載されています。


 
 

43ページの写真の拡大版です。


 
 

46ページの項91に各種ブレーキシューが載っていますが、ドライバ型カンティブレーキ用は、3列目の上のものになります。


 
 

こちらが拡大版です。
写真のトーンの関係で、シューの形状ははっきりしませんが、関戸橋で拝見したものと多分同じだと思われます。


 
 

さて、132ページ上段左から2番目には、「DIA カンティSET」が掲載されています。
これは、吉貝のカンティブレーキとして長く生産され続けた、いわゆるCLB型の#960です。

ワールドパーツリストNo.1は118ページ以降に、その時の新製品が掲載されています。おそらく、製作開始時には発表されていなかった製品を追加したのだと思います。


 
 

こちらが拡大版です。
1970年代中盤から1980年代前半にかけて、各マスプロメーカーのツーリング車の多くは、この製品を採用していましたね。


3.1974年版片倉シルクスポーツ車カタログから  


以下に、カンティブレーキを装備している代表的車種としてキャピング車をあげましたが、このカタログではドライバ型を装備しています。カタログ製作は遅くとも前年末くらいでしょうから、その時はまだ自転車メーカーにもドライバ型が供給されていたのでしょう。
ただし、1973年の丸紅山口ベニックスのカタログも確認してみたところ、すでに#960型となっていました。
片倉シルクも翌年のカタログでは#960型に変更されています。
すなわち、マスプロメーカー車のドライバ型から#960型(CLB型)への仕様変更は、1973年〜1974年にかけて行われたという事でしょうか。


 
 

いわゆる"シルキャン"です。
ちなみに栄カスタム3のチェーンホイール採用はこの年だけだったと思います。

ブレーキ周辺の拡大画像も載せておきますが、間違いなくドライバ型です。


 
 

拡大画像です。


以上の例から、マスプロメーカー車のドライバ型から#960型(CLB型)への 仕様変更時期は、1973年〜1974年にかけての事だったと推定されます。


4.横尾双輪館の広告から  


ニューサイクリング誌1970年7月号の横尾双輪館の広告です。広告に載っている快走ツーリング車「ホルクスRS7スペシャル」のスペックに「DIA カンティブレーキ」と書かれていますが、写真からみると明らかにドライバ型です。


5.関連資料:サイクル誌1958年5月号から  


サイクル誌の1958年5月号の技術講座「自転車ブレーキの一般知識」を以下に抜粋します。サイクル誌はニューサイクリング誌の前身と言ってもよい自転車専門誌で、1953(昭和28)年5月にサイクル時報社から創刊されました。以下にとりあげた1958年5月号は5周年記念号です。
「自転車ブレーキの一般知識」は、当時の国産スポーツ車用ブレーキの製品一覧と基本的な技術解説から構成されています。その中でカンティブレーキも2種類紹介されています。
ブレーキに求められる機能は現代に至るまで大きな変化はありませんが、「アオリ止め」の存在などが当時のブレーキの品質や性能を物語っていて、なかなか興味深いです。

以下の画像は小さめで字が読みにくいかもしれませんが、画像をクリックすると、横1280ピクセルの拡大画像が表示されます。

表1(表紙)と表4(裏表紙)です。 当時はちょうど第一次サイクリングブームの頃で、手軽なレジャーとして、若い人達を中心にサイクリングが流行っていたようです。もちろん当時の一般的収入では自転車はまだまだ手軽に買えるわけではなく、行楽地などには貸自転車屋も多く見られたそうです。

裏表紙の三光舎F-1型変速機はリヤハブ軸で固定するタイプで、普及型変速機です。

ここから10ページが技術講座「自転車ブレーキの一般知識」です。

当時の国産スポーツ車用ブレーキの大半が写真で紹介されています。東京ブレーキ、荒井ブレーキ、吉川ブレーキ、DIA(吉貝)ブレーキ、セーカ(精香)ブレーキ、ホズミブレーキ、丹下ブレーキの計7社となっています。
荒井ブレーキは現在の(株)荒井製作所、吉川ブレーキは現在の(株)吉川製作所、DIA(吉貝)ブレーキは現在の(株)ヨシガイ(旧社名:吉貝機械金属)です。アライや吉川(YSB)のブレーキは、一般用のシティサイクルや子供車などに、今でも多く使われています。

 

ここではブレーキレバーが紹介されています。レバーパッドは東京ブレーキの製品にしか装備されていません。DIA(吉貝)もまだワインマンとの提携前で、私の年代にはなじみ深い#144型はまだありませんね。
東京ブレーキの製品は1970年代前半まで、確か「SDマハック型」という名前で販売されていたと思います。

 

このページには2種類のカンティブレーキが写真で紹介されています。右ページは東叡社のもので、今でもオーダーがあれば製作していただけるような事を聞いた事があります。
左側はセーカ(精香ブレーキ製作所)の製品で、形状的にはCLBに近いものがありますが、実際にこのブレーキを装備したいわゆる「ツアー車」が市販されていたのか、ブレーキ単体で販売されていたのかなどの詳細はわかりません。 ここには掲載しませんが、サイクル1957年4月号に本製品の広告がありました。

ページ下段に「アオリ止め」が紹介されています。この写真はいずれも前ブレーキに装着されている部品で、傘の柄のような部分をフロントフォークに引っ掛けておくことで、ブレーキを掛けた時に、ブレーキ本体が前方にあおられるのを防止するものです。 後ろブレーキの場合はシートステーに当たるようなL字型のものとなります。当時のブレーキ本体は剛性が低く、使用している間に本体が前方に曲がってしまう事もあったという事です。現在ではこういうものは全く必要としなくなったばかりか、指一本でレバーを引いても必要な制動力を得られるようにもなり、部品メーカーの努力と、技術や素材の進歩が伺えますね。

左ページは光自転車の広告で、ミス光の北原三枝(故石原裕次郎の奥様)が乗っている自転車のブレーキをよくみると、おそらく東京ブレーキのクロスボウカンティではないかと推察します。ちなみに貸サイクリング車の申込先は東急観光白木屋案内所とありますが、白木屋は「白木屋大火」で有名な百貨店で、後の東急百貨店日本橋店ですね。
右は東京ブレーキの広告で、軽合金鍛造ブレーキの初期の製品の一つです。JCA推薦というところにプライドを感じさせます。

こちらは吉貝と吉川の広告です。ダウンヒルブレーキはブレーキを掛けっぱなしにできる仕組みですが、「ダウンヒルでも、手離しで安心して走れます」というキャッチコピーは現在では決して認められないでしょう。吉川は当時のスポーツ車用ブレーキとしてシェアが高かったようです。こちらも日本サイクリング協会推薦とありますね。

 


 

 

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