追憶のカタログ展Part60:1973シマノデュラエース(初代)
− Part60:1973シマノデュラエース(初代) −
Part60は1973年の初代シマノデュラエースです。 デュラエースは日本の自転車部品としては初のシステムコンポーネントとして企画開発されたシリーズです。当時、すでに最高級リヤ変速機としてクレーンが発売されていましたが、シマノはフロント変速機・シフトレバー・ ハブ・チェーンホイール・フリーホイール・ブレーキ・ヘッドパーツを新たに開発して、1972年11月に正式発表しました。開発当初は、それまでの『良い商品を、いかに安く、いかに大量に生産・供給するか』という思考を切り換えるために、社内に独立したセクションを設けたとの事です。
翌年1973年にはベルギーのプロロードチームであるフランドリアのスポンサーとなり、デュラエースは発売直後からヨーロッパの厳しいプロロードレースの実戦の場に投入され、叩きのめされつつ鍛えられていったのでした。この時、日本からただ一人チームに派遣され、デュラエースの状況をレポートしつつメカニックも務めたのが、現在、シマノのお膝元である堺にある自転車博物館で館長を務めておられる中村博司さんです。
当時の状況は、雑誌ニューサイクリングの1974年4月号から1975年2月号にかけて、中村博司さんご自身の寄稿による『私の参加したヨーロッパのレース』という連載記事に書かれて、当時の私も毎号熟読していたものでした。
この時のヨーロッパプロロードレースへの挑戦が、今や世界のシマノとなるまでに至った最大の要因であると言ってもよいのではないでしょうか。
余談ですが、今でもつい『ジュラエース』と言ってしまう方は、私と同じような世代ですね(苦笑)このカタログは1974年2月発行のA4レターサイズ全8ページのもので 、内容的にはサイクルショップ向けの製品紹介リーフレットに相当します。以下の画像は各ページ毎に分けて掲載しました。
注.下記の画像は著作権保護対象と思われますが、本ホームページではあくまで趣味の範囲での使用に限定するものとし、特に著作者には届出しておりません。著作権保持者や関係者の方は、何かございましたら、即刻削除等の処置を致しますのでご連絡下さい。
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まずは変速機のパッケージ群です。 前後変速機とチェンジレバーのセットは『10スピードセット』と称しており、スプリングアウター/インナーケーブルに加えて、6Mアーレンキ、ダウンチューブ下部に固定するケーブルガイド、チェーンステーに固定するアウター受け、リヤ変速機をプレスエンドに取り付けるためのブラケットまでセットされており、直付工作が少なかった当時の自転車に必要なパーツを、一通りパッケージングしていました。 |
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・13-15-17-19-21T スプロケットが10速の現在の目で見ると、なんとも荒い歯数間隔ですね(苦笑) チェーンホイールはプロテクターが装着されていますが、もちろんプロテクター無しのセットも用意されていました。 |
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ブレーキアーチは、今で言うラージサイズ、当時のレギュラーサイズです。 ハブはラージフランジ/スモールフランジの2種類で、それぞれに5段用(リヤ120mm)、6段用(126mm)が用意されています。 ヘッドパーツはいわゆるカンパタイプのものです。 |
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上記各画像と合わせて見て下さい。 |
今でも、クレーンのリヤ変速機などはネットオークションやフリーマーケットで人気があります。私自身、変速機セット、チェーンホイール、ブレーキセットは、片倉シルクやペガサスのロードで使っていました。当時の私にとってカンパニョーロは高値の花でしたし、スギノマイテイコンペのチェーンホイールはインナー42Tだった事で、39Tという独自規格はツーリストとしてはありがたかったですね。それが今や事実上の世界標準ですから、時代は変わるものですね。