追憶のカタログ展Part15:1965ホルクス

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追憶のカタログ展

− Part15:1965ホルクス −

 大正時代に創業した東京上野の横尾双輪館と言えば、昔からレーサー専門店として大変有名な店です。
 今回は横尾さんのオリジナルブランド「HOLKS(ホルクス)」です。ホルクスのレーサーは、昔サイスポ少年だった私にとっても憧れのブランドでした。初めて買ったサイクルスポーツ誌とニューサイクリング誌の72年9月号の広告を見た私は、その価格にたまげたものでした。オールカンパニョロモデルが¥190,000!
 今回のカタログは1965年頃のものですから、さらに昔のものです。ちなみに表紙を見て、これがいつのどこの写真かわかる方は相当のベテランマニアと言ってもよいでしょうね。
 
なお、この本カタログは本ホームページをご覧になって、わざわざスキャンした画像を送っていただいた 「不良中年」I様のご協力により掲載致しました。この場を借りて、「不良中年」様にはあらためて御礼を述べさせていただきます。

 注.下記の画像は著作権保護対象と思われますが、本ホームページではあくまで趣味の範囲での使用に限定するものとし、特に著作者には届出しておりません。 著作権保持者や関係者の方は、何かございましたら、即刻削除等の処置を致しますのでご連絡下さい。


 

 ホルクス−Rシリーズのカタログ表紙です。この写真は1964年の東京オリンピックの個人ロードレースのものですね。ここは高月の登りでしょうか。
 個人ロードは八王子郊外の194.8kmのコースで競われており、日本期待の大宮選手も健闘、常に先頭プロトンに位置し、一時4位まで上がったものの、最終的には37位となっています。
 右下に「PHOTO:VELO CLUB TOKYO」とありますが、東京オリンピック終了後、自転車競技だけの写真集「TOKYO OLYMPICS 1964」として、横尾
双輪館内のベロクラブトウキョウから、クラブ機関誌の増刊という形で発行されています。

 

 ホルクス−Rスペシャルは当時の最高級車です。基本的にオールカンパモデルですが、当時カンパのブレーキはまだ発売されておらず、ブレーキはユニバーサルスーパー68センタープルとなっています。ステムとハンドルは多分アンブロッシオですね。このステムは日東ダイナミックがデザインを模倣しているようです。
 リヤメカはいわゆる「鉄レコ」、フロントメカは「3点デベソ」になる前のアウターが必要なレコードのように見えます。チェーンホイールも最小44Tのレコードだと思います。
 サドルはもちろんブルックスでしょう。
 全く直付けの無いラグレスフレームは、この頃もトーエイなのでしょうか。
 今見ても当時のイタリアンレーサーそのものと言った感じですね。

 

 ホルクス−Rポピュラーは当時のオールジャパンモデルです。変速機はサンツアーコンペティションでしょうか。チェーンホイールは杉野プロダイコンペ、ブレーキは吉貝(DIA-WEINMANN)500サイドプル、ハブはなんでしょう、もしかしたら三光舎?
 サドルは多分藤田シームレスかな。
 オール国産と言っても、雰囲気はさほど劣らない精悍さが感じられるのが、さすがホルクスと言うところでしょう。

 

 これは27インチWOタイヤのスポーツモデルです。クラス的には、上の写真のRポピュラーとほぼ同様に見受けられます。
 ブレーキは吉貝(DIA-WEINMANN)610センタープル、チェーンホイールは杉野プロダイコッタード。
 変速機はサンプレックスプレステージのセットですが、リヤは直付けエンドでは無く、ブラケット止めとなっているようです。

 

 これはいわゆるクラブモデルタイプで、マッドガードはカンザシタイプのガードステーで固定されています。車輪はやや小さく太く見えますから、多分26×1・1/4でしょうか。変速機はサンツアーコンペティション(もしかするとローノーマルのグランプリかな?)、ブレーキは吉貝(DIA-WEINMANN)750センタープルでしょうか。
 今となっては、チェーンホイールのクロスレシオが当時を語っていますね。

 

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