追憶のカタログ展Part13:1976シマノ

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追憶のカタログ展

− Part13:1976シマノ −

 Part1 3は1976年のシマノカタログです。1973年 にDURA-ACEシリーズを発表したシマノは、当時から既に「システムコンポーネント」という思想でパーツをラインナップしています。このカタログでは新たに600というコンポーネントを発表、DURA-ACEシリーズの次のクラスの製品として展開しています。600シリーズは現在のアルテグラに連綿と繋がる製品でした。ツーリング車の世界では、特にハブはベストセラーになったのではないでしょうか。
 また、このカタログではDURA-ACE10というトラック専用コンポーネントも登場しています。これはチェーンピッチを12.7mmから10mmに縮めることによってコンポーネント全体の軽量化を狙ったものでした。ロード用も出ると噂されながら、結局はトラック専用で終わった製品です。
 シマノは1973年 のDURA-ACEシリーズ発表と同時にヨーロッパのプロチーム「シマノ・フランドリア」をスポンサードし、本場のレースに参加することで得られたさまざまなノウハウをもとにパーツの改良を進め、78年にはDURA-ACE EXシリーズとしてモデルチェンジ、カセットフリーやユニグライド、Wカットといった新たな技術を導入していくことになります。
 なお掲載したカタログは、プロショップで無料配布された小型版のものです。

 


 
 表紙です。既に「コンポーネント」という単語が使用されています。
 各コンポーネントのシンボルマークの上には、1975年スプリントの世界チャンピオンとなった、ジョン・ニコルソンの写真が配されています。


 

  年輩のレースファンならおなじみの赤と白のジャージは、「シマノ・フランドリア」チームです。エースはもちろんベルギーのフレディ・マルテンスです。73年のプロロード世界選手権で、ビアンキに乗ったフェリチェ・ジモンディについで2位に入っていますが、このゴールシーンでフレディがブレーキレバーを握っている写真が有名です。つまり本当は勝てるはずのレースだったのに・・・という事です。同じベルギー人のメルクスを勝たせるはずだったとか、シマノを世界選手権で勝たせないためのカンパの画策があったとか、色々な話しがありましたね。


 

 10mmピッチチェーンを核としたトラック専用コンポのDURA-ACE 10です。従来規格に対して、40%の軽量化を果たしたとあります。右下に変速機やロード用チェーンホイールがあり、いつ発売されるのかとワクワクしていたのですが、結局日の目は見ませんでした。


 

 こちらは通常ピッチのトラックパーツです。チェーンはまだコンポーネント化されていなかったんですね。


 

 カタログの中心となるDURA-ACEロード用コンポーネントです。73年の発表からそれほど大きくは変化していませんが、しいて探すと、リヤ変速機(当時はまだクレーン)の上下ボルトに合成樹脂のブッシュが挿入された事くらいでしょうか。チェーンホイールは39Tから装着できる独自規格の130mmでしたが、現在ではすっかり当たり前の規格になりました。エンドにガードアイが残っていたり、☆型の穴が開いたポンプホルダーがラインナップされていたり、そのあたりに当時の状況が表れていますね。
 ちなみに我が家には、チェーンホイール(49×39!)とポンプホルダーが残っています。
 


 

 キャッチコピーが正に70年代を語っています(笑)
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 モデルの髪型や服装といい、フロントバッグと輪行袋を装備した27インチ(?)のスポルティーフといい、当時の典型的ツーリングスタイルですね。若かりし頃にこんなスタイルで旅した方も多いと思います。もちろん私もその一人で、いまだにこんなスタイルで走っているのも当時の雰囲気が刷り込まれているのかな。でもフロントバッグとガードをつけた旅行車スタイルは理屈抜きに好きなんですね。


 

  ツーリングコンポといいながら、ロードアンサンブルとして紹介されています。サイドプルブレーキは確かにロード用と言ってもよいでしょうが、このチェーンホイールでロード用というのは少々無理があったようです。デザインが中途半端で、割合短命だったと思います。ハブや変速機はメーカーの中級スポーツ車にも数多く採用されましたし、特にハブはセミオーダー車やショップオリジナル車にもずいぶん使われました。私もロードやランドナーに採用していましたが、リヤのハブ軸を何回か折った記憶があります。

 
 こ ちらはツーリングアンサンブルです。リヤ変速機がロングケージのGSモデルになっているほか、フロント変速機、カンチブレーキなどが用意されています。
 そう言えば、当時の国産カンチブレーキの効きがいまいちで、何はともあれ、シューはMAFACに交換するのが定番でした。お金に少し余裕があれば本体もクリテリウムに交換したものです。まあ、最近の若い人には想像つかないかもしれませんし、今の私にも想像できません(笑)

なおシマノカタログは、1979年・1982年もアップする予定です。

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