追憶のカタログ展Part5:1973年 丸紅山口ベニックス

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追憶のカタログ展

− Part5:1973年 丸紅山口ベニックス −


 このページでは「格調高いヨーロッパスタイルの本格的ツーリズモ」として市販されたベニックスシリーズを取り上げます。 ベニックスシリーズは当時のマスプロメーカー製サイクリング車としては、極めて本格的な純スポーツ車として1972年に発表されました。
 以下に示すカタログは1973年に車種体系を拡充してからのもので、27サイズの快走車や24サイズのジュニア車等が追加されました。私見ですが、当時のマスプロメーカー純スポーツ車としては、片倉シルクとベニックスが双璧という感じがします。

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カタログ表紙です。
S-X101とS-X501Wに乗ったサイクリストの男女ペアが踏切で列車の通過を待っています。C11に連結された客車はいわゆる「旧型客車」のようです。

右下の図案には「BIKECOLOGY BENNY CYCLE」とあります。バイコロジーは当時流行した言葉で、懐かしく思う方も多いのではないでしょうか。これはバイク(BIKE=自転車)とエコロジー(ECOLOGY=生態、環境)の合成語です。1971年頃からアメリカで提唱された市民運動の一つで、自転車を利用することで自動車の排気ガスによる大気汚染などの公害を防止しようというものでした。


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ベニックスは当初、S-X101・S-X102・S-X103・S-X51の4車種から発売されたと記憶しています。
101はツーリズモ、102はランドナー、103はフェデラルと呼称されており、全体的イメージは似ていますが、パーツのグレードが異なるほか、101・102はクロモリですが、103はハイテンでした。

また101のみカンティブレーキや分割式リヤマッドガードが装備されているとともに、フロントインナーギヤも32T(他は36T)ととなっており、「急な峠や山岳コースを走れる」と説明されています。

51はいわゆる散歩用、プロムナードといったところです。

価格は73年6月時点で、101が\62,000、102が\47,000、103が39,800、51が\35,500でした。


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カタログ見開きページは、101についての詳細な説明となっています。特徴的な事として、フロントバッグ、ボトル、輪行袋・輪行用工具が標準装備だった事があげられます。

なおベニックスは、当時オーダーメードで有名だったパターソンズハウスの太宰氏が設計(?)したと言われています。確かに、ヘッドマークやリヤブレーキケーブルのダボの直付位置などに、太宰氏の特徴が表れています。ただしどういう位置づけで太宰氏が参画されたのか、正確なところは私も存知 あげませんので、ここではこれ以上は述べません。

いずれにしても、当時の私には極めて魅力的なサイクリング車と映りましたし、欲しい自転車の筆頭でした。


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一番上のS-X1027は27×1・1/8のタイヤを装備した快走車の「インタークラブ」、中段の101Hは101のサイズ違い(560ミリ)、下段のS-X824は24サイズのジュニア用ツーリング車です。

私はS-X1027発売前に丸石エンペラーRE27という自転車を手に入れていましたが、1027を見て思わず欲しくなったものです。

そこで友人に強く勧めて買わせ、たまに乗せてもらったものでした。価格は、1027が\53,000、101Hが\62,000、824が\34,500でした。


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カタログ裏表紙です。
こちらは女性用モデルで、特に上段は101と同様ツーリズモと紹介されています。(そのくせフロントシングルだったりするところがやや解せませんが)

デザインは同じですが柄物になっているフロントバッグは、女性向けにわざわざ作ったのでしょう。

価格は、501Wが\47,000、51Wが\35,500でした。

 なおカタログには価格が入っていません。これは「オープン価格」だったと言うことではなく、73年10月の第四次中東戦争開始とともに発生した石油ショックの影響と思われます。このカタログは73年後半のものだったと思いますが、当時は自転車も石油ショックの影響で値上げが相次ぎました。そのため価格は入れなかったのではと推察します。

 

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