ツーリングレポート:1981/08/14〜17「信州・遠州ツーリング」

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1981年8月14日〜17日:信州・遠州ツーリング
 
 この年の夏ツーリングは、飯田線伊那市駅をスタートし、高遠〜女沢峠〜駒ヶ根高原〜分杭峠〜赤石隧道〜兵越峠〜水窪〜秋葉神社というルートで信州から遠州を縦断し、二俣線の天竜二俣駅に至るものでした。当時はローカル線にも興味を憶えていた時期で、車両はもちろん、沿線風景や駅舎などの写真を撮影しながらのツーリングでもありました。鉄道好きの方には、ちょっと懐かしい写真もあるかもしれません。
 なお当時のレポートは、行程表が3日目まで、走行記録は2日目までしか見つかりませんでした。したがって3日目以降は写真のみとなります。悪しからずご了承下さい(笑)

以下のレポートは、当時書いたものをそのまま再現しています。ところどころに赤字で書いている部分のみ今回付けた注釈です。また写真は当時撮影したものをスキャナーで取り込みました。劣化が激しく、色調やピント等をソフトで修正してあります。


行程表


レポート

◆前日・1日目:8/13(木)・14日(金)

 新宿駅アルプスの広場の441M※新宿発の普通夜行列車待合場所はすでに多くの山屋さんや帰省客が並んでおり、先頭から30mほどのところに腰を下ろす。22時過ぎ、係員の先導で5番ホームに移動して無事乗車した。(4号車サハ115-310)
 電車は定刻23時55分に発車したが、車内は歩く余地も無いほどの混雑である。日野春駅での長い運転停車の間、3時57分、後発の臨時急行アルプス57号が通過していく。(EF64+12系客車)
 5時57分、上諏訪駅に到着。天気はあまり良くなく、今にも降りそうである。隣のホームで飯田線乗り入れの232Mに乗り換える。今や風前の灯火の感の80系
※昔「湘南電車」として東海道本線を走っていた有名な車両4連で、編成はモハ86-315+モハ80-313+モハ80-393+クハ86-304だった。
 電車は定刻6時21分に発車し、辰野駅到着は6時48分。ここでお目当ての旧型国電
※「湘南電車」よりさらに昔の車両に見参する。側面のリベット、オデコの大きなヘッドランプ、狭窓などに思わず見とれる。
 


上諏訪駅にて:飯田線乗り入れの80系
 


辰野駅にて:いわゆる『旧国』
 

 やがて伊那市駅には7時48分に到着。愛車を組み立てていると男性が近づいてきて一言、「こんな所で自転車広げて何やってるの?」
 全く、輪行サイクリングはまだまだ知名度が低い!
 トイレで服装を整えて外に出ると、アララ!雨が降っている。初日からこれではねェ。それでも昼食用にスシ(350円)を買って、8時35分に出発した。いよいよツーリングの始まり。
 高遠まではおよそ10キロの道のり。 あまり人気のない静かな街道をゆっくりしたペースで走る。半分ほど来たあたりから雨が本格的に降り出し、さっそくカッパを着る羽目となる。頭にはサンバイザーを被る。 ここでサンバイザーが予想以上の効果を発揮した。なにしろメガネのレンズが全く濡れないのだ。これなら雨中走行もあまり苦にならず、今後は必需品として装備に加えようと思う。
 さてひと山越すと街並みに入った。高遠である。高遠湖を見下ろす山上には高遠城跡記念公園があり、立ち寄りたかったが、この天候の中のこれからの峠道を考えて、今回は素通りした。


素堀の隧道

 高遠から今度は国道256号に入り、女沢峠へ向かう。美和湖を右に見ながら坦々と登って行く内に三峰橋に到着した。ここから左に道を取れば、戸台を経て南アルプススーパー林道に行ける。多分どこかのクラブであろうラリー車の集団がその道を入って行った。
 こちらは橋を渡って右側の道に入る。ここから林道女沢線である。路面状態はあまり快適とは言い難く、尖った大きな採石が多く、ハンドルを取られがちになる。それでも高度が上がるにつれて勾配も緩くなり、約1時間ほどで最高地点と思われるところに着いた。ただ、ここが峠であるかと言えば、少々怪しい感じもするので、小休止後さらに進む。道は一度下り気味となり、やがてまた上りとなり、どうやら第二のピークとなる。ここからは明らかにダウンヒルという感じなので、ここを峠と見なすことにした。
 


三峰橋

林道女沢線の登り
 

女沢峠(1294m)
 
 昼食にはまだ早く、また天気も良くないので、5分ほど休んでから下り始めた。下りのダートは約4キロほどで終わり、あとは快適な舗装のダウンヒルを駆け下りて集落の中を飛ばし、下りきった地点のよろずや風の店の前で停止。パンと缶コーヒーを買い、道端にしゃがみ込んで30分ほど大休止を取った後、出発する。途中から左折し折草峠に向かうが、なぜかだるいのと、天候と時間を考え会わせてUターン。この辺が一人旅の良いところ、と言うよりいい加減なところである。
 駒ヶ根の道は天竜大橋までは素晴らしいダウンヒルだったが、橋を渡ってからは急な登りとなった。すなわち天竜川の河岸段丘を一気に登るわけで、これが直線的に上がる道なので、結構足に来る。この頃から再び雨も降り出し、駒ヶ根駅に着いた時には土砂降りとなってしまった。折草峠をカットした事は結果として良かったということだ。結局、駅の待合室で1時間半ほど雨宿りしたのち、2時50分過ぎに本降りの中をYHに向かって出発。3年前に来た時は途中でへばってしまったが、その頃に比べて多少脚力もついたらしく、今回はそれほどでもなかった。だが光前寺あたりではさすがにペースが落ちた。このあたりの風景は当時と全くと言ってよいほど変わっていない。しいて言えばみやげもの屋の便所が無くなっていた事くらいか。
 光前寺を過ぎて郷土資料館の前にさしかかった時に、サイクリストを見つけて声を掛ける。やはり同じYHに宿泊するとの事で、2人でYHに入る。YHの前にはすでに何台かのバイクが並んでいたが、自転車は我々だけのようだった。受付を済ませて部屋に入り、服を着替えてから、先ほどのサイクリストと話す。彼は日米富士自転車
※1899年創業の歴史ある自転車メーカーでした。今はアメリカ資本なのかな?に勤務しており、こちらはサイクルショップでバイトしている身なので、自転車談義に花を咲かせた。(と言ってもサイクリングについてと言うより、商売上の事が多かったが)
 YHとしては標準的、つまり味はまあまあなるも量が少ない食事を済ませてから部屋に戻ってベッドに寝ころんでいると、夜行明けサイクリングの疲れが出たらしく、そのまま眠りに落ちてしまい、起きたのは9時半過ぎだった。そして10時消灯。大した距離は走っていないが、なんとなく疲れた一日だった。
 
◆2日目:8/15(土)
 駒ヶ根YHを8時過ぎに出発。駒ヶ根駅踏切で80系4両編成を撮影、踏切係の駅員と少し話す。天竜大橋まで一気に下り、 再びアップ。きのう立ち寄った店でジュース購入後、分杭峠に向かう。 道は登るにつれて狭くなっていき、標高約1100m付近からダートとなった。森の中を黙々と走るが、思ったよりクルマも多く、やや白ける。やがてT字路に突き当たったが、ここが中沢峠である。ここから右折し国道256号線に入る。国道と言っても一車線しかない林道であり、とても国道という代物ではないが。
 まもなく分杭峠に到着。峠にはクルマも数台停まっており、クルマから下りてきた家族連れでにぎわっていた。峠から北の方向には、やや霞んではいるが小さく美和湖も見下ろせる。


駒ヶ根駅にて


中沢峠(1290m)

 写真をとる準備をしていると、男性がシャッターを押してくれた(が、後日出来上がってきた写真を見て失望)。さて天気も良く、時間もあるので、のんびりと紅茶を沸かす。昔さんざん山を登ったという30過ぎの男性が林道について色々と聞いてきたので、こちらが登ってきた道についてアドバイスした。今はもっぱら家族と林道ドライブを楽しんでいるとのことだった。
 さてそろそろ下りにかかる。ニューサイによれば、すぐに舗装になるということであったが、思ったよりダート部分が長く感じられた。だが割合フラットで走りやすい道だった。
 舗装路に出てからはひたすら下り、大鹿村を過ぎ、更に小渋湖に出る。湖の対岸へ渡り、今は通るクルマもほとんどないような未舗装の道をのんびりと走り、四徳大橋へ。橋のたもとで昼食とする。メニューは駅で買っておいた「伊那路弁当」。日差しがかなり強く、じっとしていても汗が出てくる中ではしを運ぶ。
 湖面はかなり低いところにあり、家族連れや若者のグループが釣りやボート、水上スキーを楽しんでいるが、それほどの観光地ではないせいか、回りはとても静かである。
 


登りの途中で見掛けた馬頭観音と分杭峠(1424m)。(石碑は今でもあるのかな?)
 

 ここからはYHに戻るだけであるが、鶴部に出るはずが、道を間違えて更に南下してしまい、伊那大島駅に出てしまった。そしてまたまた80系と御対面。80系が出発すると、駅はまるで時間が止まったかのようにひっそりとし、騒がしいセミの鳴き声だけが騒がしい。
 まさに地方のローカル線の一中間駅の真夏の昼下がりという趣きである。
 さて駅から国道153号線に入り、鶴部に向かう。途中で梨の販売店を見つけ、1個買って食べる。鶴部の交差点を左折し、再び登り勾配となった道を三州街道へ向かった。その手前で上片桐駅を過ぎる。ちょうどED62+タキ+ワフの短い貨物列車が到着したところであった。Nゲージレイアウト
※当時凝っていた趣味の一つの鉄道模型に適当な規模の駅なので、線路配置をラフスケッチしておいた。


夏の昼下がりの伊那大島駅

 国道153号線が街に近く低いところに敷かれ、山側には中央自動車道が完成して、三州街道は通るクルマも少ない。昔のしずけさを取り戻したこの街道、静かで落ち着いた雰囲気がサイクルツーリングにはぴったりという感じがする。道の両側の家々のひっそりとしたたたずまいの中をのんびりと走っていると、まさに旅に出たという実感がじわっとにじみ出てくるようだ。豊岡で再び国道153号線に合流し、通るクルマが急に多くなった中を駒ヶ根に向かう。そしてYHに到着。
 


上片桐駅に短い貨物列車到着


横須賀の女子高生5人組

 部屋には騒がしい4人組。全員同じ夜間大学の仲間らしく、1泊の旅行にわざわざ自作のパンフレットを作ってきて、ホステラーに渡している。題して「伊那路そして駒ヶ岳の旅−男4人どこへ行く! ロマンを求めてこの伊那路へ-」
 夕食後のミーティングは合宿が入っているとかで中止。その代わりに地元の盆踊りに出かけて、帰りはなぜか肝試しとなった。オレのパートナーは横須賀から来た女子高生5人組の内の1人で、途中で木が急にバサッと倒れてきて「キャーッ!」と絶叫。その後はずつと、オレのTシャツをつかんで話さず、その後も絶叫の連続であった。まあカワイイものである。
 
 YHに戻って、Pさん※YHの管理人をペアレントと言います。の用意してくれたコーヒーを皆なで飲み、その後は例の4人組と京都の短大生2人組、オレで買った花火を、他の大部分のホステラーと一緒に楽しんだ。短大生は打ち上げやドラゴンが好きらしく、手放さない。女子高生5人組もワーワーキャーキャーと、まるで中学生なみである。
 ひとしきり楽しんだ後、一番大きな打ち上げ花火で、この夜も打ち上げ。4人組の一人の馬場君のカメラで記念撮影。なかなか楽しい晩だった。思えばYHでこんなに騒いだのも久し振りである。
 
◆3日目:8/16(日) - ここからは写真のみです。

元善光寺駅
 

80系クモニ(荷物車)
 

赤石林道起点:当時はダート
 

赤石トンネル(1200m)
 

お盆の上村
 

秋葉街道の登り
 

兵越峠(1160m)へ向かう
 

水窪ダムから上がった所の民宿みさくぼ
 
◆4日目:8/17(月)

民宿全景
 

門桁から山住峠へ通じる林道
 

ひたすら一人・・・
 

山住峠(1107m)へ
 

旧国(撮影した駅不明)
 

80系と165系(撮影した駅不明)
 

− 以上 −

 

 

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