ツーリングレポート:1979/07/06:松姫峠・大峠越え
1979年7月6日:松姫峠・大峠越え |
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この時は奥多摩側から松姫峠を越えて深城まで下り、そこから大峠を目指しました。 自転車は片倉ロードで、ローギヤは39×22Tでした。 深城から延々3時間掛けて登りましたが、峠を少し下ったところで林道がプツッと切れており、結局引き返したのでした。 また大峠の登りの途中でフリーホイールのフタが緩んで、ベアリングやバネが飛び散ってしまったりもしました。 その後、大峠はクルマで一度越えたものの、2001年5月に再訪した時は法面の大崩壊で、やはり引き返しています。 山梨県側からは峠まで行けるのですが、いずれはきちんと越えてみたい峠の一つです。 |
以下のレポートは、当時書いたものをそのまま載せています。ところどころに赤字で書いている部分は今回付けた注釈です。 |
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7月6日(火):松姫峠・大峠越え コース&タイム:
レポート:
深夜、というより早朝のルート20を立川まで走り、立川から奥多摩まで輪行。青梅線はオレンジ色の103系※いまや103系も走っていません。時は流れるという感じですねになってしまって少々趣に欠ける。 |
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登り始めてから約2時間半、標高1500m付近でトラブル発生。フリーが分解してしまったのである。思わず「ウッソだろう!」と口をついて出た。このトラブルは昨年8月の美ヶ原についで2回目である。それ以外にも4段目の19Tが割れたり、トップの歯が欠けたり、最近どうもトラブルが多い。サンツアーパーフェクトには何か弱点があるのだろうか。 ともかく直さねばならない。地面にウエスを敷いて、中子からフリー本体をはずし、ベアリングの数を調べる。かなり足りないが、半数ずつ分けて組み込んだ。※ご覧の通りの路面で、ベアリングも散逸してしまいましたハンマーは無いので、フタのくぼみに当てたマイナスドライバーの頭を丈夫そうな石ですこしずつ叩いてフタを締める。なんとかガタもなく走れそうでホッとした。 再びサドルに跨り、大峠に向かう。登るにつれて路面状態は悪くなる一方で、天気まであやしくなってきた。 |
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やがてポツポツと雨も降り出してきた中を、ひたすらペダルを回す。フリーを直してから約30分、ようやく大峠に着いた。深城から約3時間の道のりであった。少し休んで、すぐに下り始める。倒木が道をふさいでところもあり、走りにくいが、途中で眼下に林道も見えて来た。しかし、更に下っていくと、なんと目の前に山の斜面が立ちふさがった。林道はその斜面に突き出た形でプッツリと切れていた。茫然自失とはこの事で、一瞬思考が止まってしまった。 とにかく策を考えねば。突き出た先端の脇から下に降りて向こう側の斜面に登ってみたが、道らしい道は無く、クマ笹が覆い茂っているだけである。 結局引き返すしかなく、峠までのハードな登りで足がつってしまうので、峠まで歩いて戻ってからサドルに跨った。登りに3時間掛かっただけあって、さすがに下り応えがある。初めは丸タイヤ※チューブラータイヤの事です、念のためを気遣ってゆっくり下って行ったが、その内にスピードが上がり始めて、しまいにはランドナーとあまり変わらない速度で駆け下りる。 本格的に雨が降り出す。もう気にせずひたすら下り、1時間弱で深城に戻った。途中でブロックダイナモのステーがちぎれたが、タイヤはどうやら持ちこたえた。※ウオルバーインターナショナルだったと思います。今考えると無茶してますね 深城から鳥沢まではほぼ下り一方であり、レーサーの本領を発揮。3時56分、鳥沢駅に到着した。この駅からの輪行は3回目だが、初めて手回り品キップ※当時の輪行はJCA会員証と手回り品キップが必須でしたを売ってくれた。ここも最近はサイクリストを見慣れてきたのかな。そして、4時36分発の高尾行きで帰宅した。 今回の峠越えでは色々考えるべきがあった。※ちゃんと反省しているところが偉い!(笑) 1.新しい峠道の場合は地図をうのみにせず、関係筋に最新の状況を確認すること。 2.フリーホイールのトラブルに備えること。 3.レーサーのギヤ比でも意外に登れること。 4.ただし下りの振動は相当過酷であること。 |