ツーリングレポート:1978/08/14〜20「信州ツーリング」

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1978年8月14日〜20日:信州ツーリング
  
70年代中盤〜80年代前半は、私が年間通じて一番盛んにサイクリングをしていた時代です。特に夏は、信州を中心として1週間弱の輪行峠越えツーリングを毎年のように行っていました。
この年は、上田から保福寺峠を越えて蝶ヶ原林道経由で美ヶ原に入り、扉峠〜和田峠を経由して諏訪湖へ。さらに南下して駒ヶ根から権兵衛峠を越えて木曽に入り、濁川温泉まで足を伸ばすという、中信縦断コースを走りました。

以下のレポートは、当時書いたものをそのまま再現しています。
ところどころに
赤字で書いている部分のみ今回付けた注釈です。


8月14、15日

 14日午後9時過ぎに自宅を出て上野駅へ。0時22分発の急行「信州6号」に乗り込んだが、意に反して車内は割合空いていた。(指定券買って損した!)
 上田駅に着いて、空が段々明るくなっていく中で自転車を組み立てる。完全に夜が明けた5時半過ぎに、まずは保福寺峠を目指して出発した。上田から青木村に通じるこの道はほぼ一直線に続いていて、少しばかり飽きて来たところで青木村に到着。ここから道を左に取り、保福寺峠に向かう。途中から林道となり、あまり良好なダートではない中、汗をびっしょりかきながらペダルを回し続けること約2時間。ようやく保福寺峠に着く。峠の茶店は閉まっていて水場も無く、10分ほど休んだだけで出発、通行止めバリケードを全く無視して、美ヶ原に向かう林道に入る。蝶が原林道と言う。
 さて、ここから武石峠までは本当に苦しい道のりだった。途中本少し下るだけで、あとは延々登りのダートが続き、尾根上に近いためか景色は良いが水場も無く、日差しも強烈。ボトルの水も途中で飲み干してしまい、ノドもカラカラになってしまった。とうとう路面に残っていた
水たまりから上澄みをすくって口に入れる始末※この時以来ボトル+缶ジュースの類という組み合わせを欠かさないだ。ボトルにも上澄み※上澄みといってもボトルの中は薄茶色の水だったをすくって少しばかり補給した。結局約13kmを2時間掛けて、ようやく武石峠に到着した。
 さてここからは思い出の丘に向かってさらにアップヒルが続く。ところが思い出の丘のモーターロッジを目前にしたとき、思わぬトラブルが発生した。
 ペダルがいきなり空転し、何事かと思って後を見ると、なんと
フリーのフタがはずれて※自分でフリーの分解掃除をした時にフタの締めが甘かったのが原因ベアリングがすべてこぼれ落ちてしまったのである。とにかくモーターロッジで大休止して、フリーの状態を観察した。ラチェットやバネは残っているので、とりあえずフタを締めただけで出発した。ペダルをこげないので、マイカーで渋滞している道を自転車を押して歩いていき、とりあえず美ヶ原最高地点の王ヶ頭に到着した。霧が少々出ているものの、360度の視界はすばらしい眺めである。はるか下には三城牧場も見える。これでフリーのトラブルさえ無ければ美しの塔なども行けるのだが。
 午後1時15分、三城に向かって下り始める。ルートは王ヶ頭直下の直降路で、ガレ場の下りである。1時間ちょっとで美岳山荘下の林道に出て、そこから更に山道を押し下げること30分で三城牧場に着いた。本日の宿のYH高嶺ヒュッテには3時15分に到着。ヒュッテは山小屋に毛が生えた程度。
サイクリングは単独行は2〜3人、同志社大のクラブが5人だった。※必ずと言ってよいほど、サイクリストチェックしてますね(^_^;;
(走行距離55km)





保福寺峠(手前側から到着)

 ようやく到着した武石峠

   
8月16日

 目を覚ますと今にも降りそうな天気だった。そのため少し早めにYHを出発した。なおフリーは、こぼれてしまったベアリングの代わりに
予備のダイナモコードと針金※こんなものまで予備パーツとして持っていたを入れて応急修理した。多少のガタツキはあるが低いギヤ比であれば何とか走れそうだ。
 最初に扉峠に向かう。大部分は林道だが、路面はしっかりしているし斜度もそんなにきつくないので、きのうに比べればかなり楽だ。峠のヒュッテには約50分で着いたが、段々霧が深くなってくる。扉鉱泉の方から上がってくる道と合流して有料道路となったが、トールゲートは無人だったので、そのまま素通りして進む。やがて三峰山展望台に着いたが、視界は約20m、おまけに強風。ここからは下りとなりダイナモを回しながらダウンヒル。和田峠のトールゲートに着いた時には霧もかなり薄くなり、50円払って和田トンネルを抜けて、さらに諏訪に向かったダウンヒルを続けた。カーブがきつく思うようにスピードは出せなかったが、なかなかの下りだった。
 下諏訪で自転車店を探し、2軒目の千野自転車店というところで
ベアリングをわけてもらって※本当にフリーのベアリングがガサッと入ったケースがあったのです自分でフリーを修理。ベアリング代200円だけでいいとの事で嬉しくなった。ここから駒ヶ根に至る三州街道は単調な道で、途中で自動販売機コーナーに立ち寄った以外は淡々と走り続けた。駒ヶ根高原入口には午後1時すぎに到着、少々の登りを終えて光前寺にて休憩とした。
 ここで伊那に住んでいるという家族に話しかけられる。こういう人なつっこさは東京に住んでいるとなかなかお目にかからない。
地方の人情にはやっぱり心やすらぐ※結構単純に感激しているが、単に物珍しかったのかもねものがある。
 光前寺から旧竹村家、郷土館を続いて見学する。郷土館は大正時代に駒ヶ根市がまだ赤穂村であった頃の役場だった建物とのことだったが、地方の一村役場がこんなに立派なものだったことに感心した。
 本日の宿は駒ヶ根YH。ごく
平均的なYH※当時は大体YHに泊まっていたが、ほとんどのレポートで自分なりの評価をしているなあで食事、ミーティング、部屋は正にこれがYHだという感じ。ただし就寝時間だけは10時半過ぎだった。(Pさん自ら規則破りして我々とトランプに興じていたのである。)
(走行距離91km) 
   
8月17日

 何と雨である。今日は権兵衛峠越えだと言うのに。雨が降ったり止んだりしている中を越えるかどうしようか迷っている内に峠入口まで来てしまったので、意を決して峠を越えることにした。沢を渡った向こう側に
山道※今は国道となった権兵衛街道だが、当時は山道しか無かったが始まっていた。峠まで3.8km、ここからはひたすら山道の押し上げである。夏草が茂っていて所々で道が消えかかる。途中で本降りとなり<山中に自分一人であることを実感する。
 沢を何度か横切り、茶屋だったらしい廃屋を通り過ぎ、黙々と歩く。突然目の前を何かが通り過ぎた。ギクッとしてその方向を見ると、これが何とカモシカであった。10mほど前でこちらをじっと見ている。とにかくシャッターを2枚切った。とんだ遭遇であった。
 さらに押し上げていくと前方に案内板を発見。権兵衛峠であった。3.8kmを約1時間半掛かったことになる。
 峠は広い草地となっていて、ベンチなどもあり明るい雰囲気だ。ちょうど雨もあがって、やっと人心地着いた気分である。ちょうど昼なので、YHで作ってもらった握り飯を食べる。
 峠からは林道となる。予定していた姥神峠は天候の様子から行かない事にした。
 羽淵の集落まで27分で下り、更に奈良井川に沿って下る。約20分で国道19号線に合流した。ここでキャンピング車のサイクリストと会ったので、2人で鳥居峠のトンネルを抜けて木曽路に入った。
 原野には1時40分頃に到着。ここでまた2人のサイクリストと出会う。4人でしばらく立ち止まって色々と話した。3人と別れたあと、YHまでの道がわかりにくく少しウロウロしていたが、同じYHに連泊中のサイクリストに案内されて、旅情庵YHには3時15分に到着した。受付で待たされている間にモーターサイクリストと話をする。また自転車も多く、その中に
女性の単独行※しっかりチェックしてますねを見つけた。
 このYHは食事に特色がある。6人で一つのテーブルを囲んで、自分たちで味付けした鍋をつつくのだ。これは男女が必ず組になり、ミーティングも兼ねているとのことで、なるほどと思った。夕食後は同室の東大サイクリング部の人としゃべる。外では礼の女性サイクリストの自転車の整備を巡って、少々メカに詳しいサイクリスト同士が
口角泡を飛ばす一幕※変速機調整か何かの仕方でもめていたもあった。
(走行距離65km)

カモシカ

権兵衛峠頂上

   
8月18日

 連泊なので、どこへ行こうか考えていると、同室の高二の自転車競技部の彼が、
濁川温泉※木曽を走るサイクリストに人気のあった一軒宿。に行かないかと誘うので、一緒に行くことにした。出発は9時半。僕は競技選手の走りがどんなものだと思いながら彼の後を走る。まず第一に大変軽いギヤを使っている。平地で48×17or19。登りになると48×24、36×17or19など。第二にこまめなチェンジ。第三に一定の回転数。(ちなみに彼のクルマは鉄リムのロードマン!) 彼に合わせてこちらも44×17などで飛ばすのだが、さすがに選手である。平地はともかく、ヒルクライムになるとあっと言う間に引き離されてしまう。御岳林道に入っても万事その調子。こっちが26×17や19を使っているというのに、彼は尻を持ち上げてどんどん先へ。やっぱり自転車は脚力なのだ!
御岳林道は割合しっかりした路面で水場も豊富にある。また大変スケールの大きな景観で、汗だくになりながら進んだ。
 午後1時過ぎ、ようやく濁川温泉入口に到着。自転車を置いて、河原にある温泉への道を下ること20分、めざす濁川温泉に着いた。
 昼食を済ましてから、いよいよ温泉につかる。約39度の温泉はとても気持ちよく、実にゆったりとした気分になる。これで100円とは安い。宿のご主人に
「いつか泊まりに来てください」※結局泊まりには行けなかった・・・と言われ、名残惜しいが戻ることにした。
 YHに戻る下りでは彼が2回パンク。27シイチでは無理もない。下りではこちらがぶっちぎる。
あまり自慢は出来ない。何と言ってもこちらは650×38Bだから。※とりあえずの謙虚さが出ている
 大原からYHまでの登りでは意外にも彼が歩き始めた。僕は降りたくないので、先に進む。やがてYHに到着したが、彼はまたパンクして30分ほど遅れた。
 きょうの夕食では
山梨県立日川高校※しっかり聞き出しているなあの女の子2人、東京から来た女の子2人、京都の名倉さんという男性と鍋を囲んだ。東京の女の子は今年短大を出て、一人は幼稚園の先生、もう一人は保育園の保母になったということだった。幼稚園の方は化粧が強めだが、保育園の方はこざっぱりとしていい感じ。※何か自分の趣味を全面に押し出している観察ですね。
 同室にはフランス人がいて、夕食後4人かがりで彼を囲んで色々と聞く。身振り手振りを交えた怪しい英会話である程度はお互い理解できていたようだ。明日は「イコネ」(彦根YH)に泊まると言っていた。さらに2年前に河口湖YHで同室だった奴とも偶然の再会だった。奴もすぐわかったらしい。なかなか楽しい1日だった。
(走行距離96km) 

 

濁川温泉の湯船の小屋

注.濁川温泉は、奥木曽ツーリングに欠かせない、サイクリストにも有名なランプの宿でした。
しかし1984年9月14日午前8時48分に大地震が発生。(長野県西部地震)
河原に建っていた宿は御岳八合目付近の大崩落により、一瞬にして土石流に飲み込まれてしまいました。
宿とともに五代目ご夫婦と赤ちゃん、ご母堂が運命をともにされました。
あらためてご冥福をお祈り致します。

   
8月19日

 予定では本日帰ることにしていたが、幼稚園と保育園のコンビから寝覚ノ床に行かないかと
誘われた※こっちから誘ったんじゃないよ、ホントだよので、「仕方なく」※ハハッ、レポートの中で見栄張らなくてもよいのに・・・1日延長しておつきあいすることにした。8時35分発の妻籠行きバスに乗る。幼稚園は川本さん、保育園は池田さんという。川本さんはいわゆるアンノン風※当時の若い女の子達には、雑誌アンアン、ノンノの旅行特集がバイブルだったの旅をしているようで、池田さんは全部川本さんに任せてあるとのことだ。
 「ねざめ」バス停で下車し、入場料30円を払って、寝覚ノ床に入る。しばらく散策していると、YHで一緒だったオートバイ3人組と会ったので、6人で裏寝覚に回る。こちらの方が人も少なく静かな散策が楽しめる。
 その後バイク3人組は富士山方面へVサインを出しながら走っていき、我々は上松の駅前食堂で昼食とした。川本さんがビールを注文したので、僕も付き合う。最近の子はたいしたもんです。
 上松から11時48分発の松本行きに乗り、帰京する彼女達とは、奈良井駅で別れた。駅前でYHの同室の竹川さんと会ったので、2人で奈良井宿をぶらついた。やや作為的な妻籠よりも、奈良井の落ち着いた昔からのたたずまいのほうが好ましく思う。2時36分初の中津川行きに乗ると、まとも同宿の2人と会う。結局4人で原野で下車、YHまで歩いて帰った。
たまには自転車に乗らないというのもいいもんだと思った1日だった。
(走行距離0km)

幼稚園と保育園のコンビ

8月20日

 YH主催のジンギスカン昼食パーティに参加したあと、宮ノ越駅で自転車を分解、帰京の途に着いた。塩尻で4時2分発の新宿行き鈍行に乗り、高尾着8時36分、そして帰宅は10時過ぎだった。
 今回は、水たまりの水を飲んだり、フリーがぶっ壊れたり、カモシカと遭遇したり、はたまたYHで同宿したメンバーとの歩きの日もあり、色々とバラエティーに富んだ印象深いツーリングとなった。
(走行距離8km、合計315km)

The End

 

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