ツーリングレポート:1977/03/26:奥高尾縦走
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まだMTBが世の中に現れていない当時も、いわゆる「山岳サイクリング」はサイクリングの1ジャンルでした。ニューサイクリング誌上でも、読者による山岳サイクリング論争があったり、ツーリングガイドにも信州や甲州の山岳サイクリングコースが紹介されていました。 奥高尾縦走とは、東京のポピュラーなハイキングコースである高尾山から景信山、陣馬山を結ぶルートで、昔も今も家族向けに大変人気があるルートです。 ニューサイクリング誌上でも、例えば74年6月号の「私の峠コースガイド」という記事で、中級から上級向きとして紹介されていました。 今やMTB向けのコースとしても知られていますが、ハイカーとのトラブル等もあり、高尾山は自転車の入山禁止となっているようです。 この時も高尾山はハイカーが多い事から、私は小仏峠から走り始めています。この時以来、このコースは春夏秋冬問わず何度も走り、陣馬山の茶屋のおばさんともすつかり顔なじみになったものでした。 数年前に子供とハイキングに行ったときに久し振りに立ち寄ったら、おばさんは憶えていてくれて、「いやあ、久し振りだねえ。昔何度も自転車で来た人だよねえ」と昔話に花が咲いたものでした。 しかし左の自転車は典型的ランドナースタイルですね。その後、このコースを走る時には、オールランダーバー+ザックというスタイルにしたものでした。 蛇足ながら主なパーツを書いておきましょうか。 シマノLQハブ+マビック650B+ナショナル38B+カニヨン、49D+サンプレリング(46×28)+サンツアーパーフェクト、サンプレックスプレステージ3点、マファックライド+ユニバーサルレバー、日東105+GB、リオター#460、ブルプロ+藤田ベルトピラー、ソービッツ12N+お団子ランプ直付け・・・とまあ、当時のごく普通のスペックですね(笑) |
注.以下のレポートは当時書いたものをそのまま載せています。ところどころに赤字で書いている部分は今回付けた注釈です。
区間タイム:
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だが、やがてあっけないほど早く景信山頂上に着いてしまった。バッジを買って出発。次は明王峠だ。ところで今日は春休みの土曜日であり、ハイカーが大変多い。その人達の好奇の目にさらされながらも進んで行くと、前方にサイクリストが休んでいた。声を掛けると、その人のクルマもペガサスで、しかも23インチサイズ※フレームサイズの事です。約585mmですねの赤色である。よく似ているなあと二人して大笑いであった。彼は東工大のクラブの人だった。 |
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1時間ほどして出発。陣馬山頂上まではわずか20分ほどの道のりであるが、結構疲れる。陣馬山頂上はハイカーで一杯であるが、360度の視界で素晴らしい眺めである。 |
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