ツーリングレポート:1976/11/09:松姫峠越え

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1976年11月9日:松姫峠越え

自転車は650×38Bのペガサスランドナーで、MAFACライド+ユニバーサルブレーキレバー/Simplexプレステージ 変速機/Simplexツーリストリング(46×28T)+STRONGLIGHT49Dクランク+サンツアーパーフェクト(14-21T)/リオター#460ペダル/GBステム+フィリップランドナーバー/ブルプロ +ベルトピラー/ソービッツヘッド+ダイナモ/レフォールガードという仕様です。まあ当時の典型的な和風ランドナーですね。


  松姫峠は私のお気に入りの峠のひとつです。このレポートは初めて松姫峠を越えた時のものです。当時は鶴峠との分岐地点の子永田集落の先から長いダートが続く峠道でした。現在は国道139号線となり、もちろん完全舗装となっています。
 峠の名前は、武田信玄の娘の松姫が織田勢から逃れる途中で越えたことに由来しています。松姫は織田・武田・北条が三国同盟を結んでいた幼少の頃に、織田信長の嫡男信忠と婚約を交わしたそうです。
 その後21歳になった天正十年(1582)、松姫は兄の居城である信州高遠城を訪ねていたのですが、織田の軍勢が高遠に攻めて来るという知らせに、急遽甲府に引き返した後に北条領を目指し、松姫峠を越えて最終的に八王子へ落ち延びたということです。本当にこの峠を越えたのかどうかは定かではありませんが、遠い昔の峠名の由来に思いをはせながら走るというのも、峠越えツーリングの一つの楽しみと言ってもよいのではと思います。
 さて、峠を大月側に約400mほど下って右ヘアピンカーブを曲がると、山々の壮大な眺望が広がり、はるか下にはこれから下る道が続いているのが見えます。猿橋まで標高差 約1000mのダウンヒルが堪能出来ます。


注.以下のレポートは、当時書いたものをそのまま載せています。



11月9日(火):松姫峠越え

DATA
 天気:晴れやや薄曇り、走行距離:80km、所要時間:5時間22分、平均時速:14.9km/h、費用:1330円

ROUTE
 自宅−(17km)−立川駅=国鉄青梅線=奥多摩駅−(7km)−奥多摩湖−(11km)−余沢−(2km)−鶴峠・松姫峠分岐−(8km)−松姫峠(1250m)−(12km)−小金沢−(22km)−鳥沢駅=国鉄中央本線=高尾駅=京王線=仙川駅−(1km)−自宅  (計80km)

REPORT
 昨日、急に松姫峠を越えようと思い立った。天気も2、3日続くということなので良いツーリングが期待出来る。
 そして今日は午前3時に起床。ツーリングというと、こんな時間に起きられるのが我ながらおかしい。朝食(夜食?)を済ませて家を出たが、それほど寒くもなく快適である。芝信の時計は4時53分を指している。さて早朝のルート20は急行便のトラックが多く、しかもトラック同士が街道レースのように競っているので、こちらは隅の方をトコトコ走っていった。府中を約30分後に通過、国立の辺りから空が段々明るくなってきて、それと共に顔に当たる空気が冷たくなってきた。

 やがて立川の交差点に到着し、ここで輪行するかしないか迷ったが、結局立川駅に向かった。輪行も久し振りなのでやや時間が掛かり、通勤通学の人の往来の中、ペガサスは20分ほどで袋に納まった。手回り品キップは無視してホームに行くと、ほんの5分ほど前に奥多摩行きは発車しており、次の電車まで40分も待つ羽目になった。仕方なくベンチに座ってぼんやりと朝のホームの光景を見ていると、こちら側のドアが全く開かない。駅員に聞くと、こちら側は降車ホームとの事で、急いで向こう側に移動した。
 そうこうしている内に、やっと電車が到着し、例によってドアの所に座る。電車は7時18分に出発、そして奥多摩駅下車は8時33分だった。

 奥多摩駅を9時8分頃に出発。奥多摩湖までの道はもはやつらい道ではないが、多少蒸し暑い。湖畔で小休止して顔を洗い、ボトルの水を交換して、再びサドルに跨った。深山橋を過ぎる迄は湖畔沿いの平坦な道だが、有料道路との分岐あたりから多少登りとなり、汗がうっすらと滲む。余沢の分岐で左に下り、短い急坂を登り、だんだん山の中に入っていく。やがて鶴峠との分岐に到着した。松姫峠へは右へ行けばよいのだが、通りかかった老夫婦にあえて尋ねた。老人の案内はとても丁寧でわかりやすく、礼を言ってハンドルを右に向けた。

 山の上には小永田の集落が軒を寄せ合うように建っており、何軒かの新しい家が何か場違いのように見える。ニューサイの記事の通り、古い急な坂道の北側には立派なアスファルト舗装の道が山腹を大きくまいて上に続いており、その道を登っていった。やがて消防小屋に突き当たり、横の店の人に道を確認し、いよいよ峠に向かうことにした。道の右側の急斜面には段々畑が作られており、村の女性達が黙々と農作業を続けている。道は予想に反してしばらく舗装路が続くが、回りの風景が雄大なためか、あまり苦しくはない。東の遠方には鶴峠への道がよくわかる。

 やがて舗装は切れ、つづら折りに登るようになったが、割合締まった路面に650Bの感触が心地よい。そんな道が直線状になって一踏ん張りすると、写真で見た景色が目に飛び込んできた。松姫峠であった。時間は11時50分である。峠にはクルマが1台停まっており、その持ち主達は写真を趣味にしているらしい人達だった。峠の標に自転車を立てかけて写真を撮ってから昼食の用意を始める。そして静かで日差しも暖かい中、紅茶を沸かしゆっくりと昼食をとった。

 昼食後、年賀状作成のために何枚かの写真を撮り、12時54分、再びサドルに跨った。そして峠を下り始めてすぐに素晴らしい展望が開けた。ヘアピンカーブの正面には大菩薩の山並みが広がり、南には富士山がちょこっと顔を出している。が、それにもまして下方にはこれから下っていく道が山腹を縫うように走っていて、どこがどうつながっているのか皆目見当がつかないところもある。全く評判にたがわず、すさまじいものである。さてこの光景に少し未練を残しながら下り始める。
 


 この峠道は小菅側と大月側では全く様相が異なり、こちらは大変な悪路である。ここからは38Bの威力を発揮することになるが、細心の注意を払わないと、薄いオープンサイドを切ってしまいそうである。フロントバッグはポンポン飛び跳ね、か細いバッグサポータも必死に耐えている。そしてフロントホークから伝わる振動は腕を通してモロに体を突き通す。しかし何キロかの大変な、しかし素晴らしい地道のダウンヒルも途中から舗装路となり、風を切りながらぶっ飛んで行った。ところが再び舗装が切れ、路面は泥沼状になってしまった。やれやれ今度はさながらシクロクロスか。下回りは泥まみれとなり、こうなってしまっては「天駆ける馬」もみじめなものである。

 そんな姿でおよそ11kmを下り、ようやく小金沢の集落に入った。振り返ると、今駆け下りてきた山々がそびえ立っていた。小金沢からはほとんど舗装となり、それとともに勾配も緩くなり、山里の風景の中をのんびりと下っていった。甲州街道に出てからは鳥沢駅まで走り、そこから輪行で帰路に着く。帰宅は5時を少し過ぎていた。

 

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