ツーリングレポート:1976/08/14〜17「信州・甲州ツーリング」No.1

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1976年8月14日〜17日:信州・甲州ツーリング
−−−<No.1:8月14、15日
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この年の夏ツーリングは、小海から馬越峠、信州峠を越えたのち、林道木賊平線、観音峠線を経由して甲府へ。さらに南下して右左口峠を越えて富士五湖に入り、道坂隧道を抜けて道志街道を東京に戻るコースを走りました。なお本ツーリングは、新調した650×35Bランドナーの初ツーリングでした。

以下のレポートは、当時書いたものをそのまま再現しています。ところどころに赤字で書いている部分のみ今回付けた注釈です。
また写真は当時撮影したものをスキャナーで取り込みましたが、劣化が激しく、色調やピント等はソフトで修正してあります。


8月14日(土)

 小海に着いたのは、既に昼近かった。今日はこれから2つの峠を越さなければならない。それは馬越峠と信州峠である。
 自転車を組み立てて駅を出発した時は正午を過ぎていたが、別に空腹も感じなかったので、昼食は取らなかった。馬越峠への道は駅から登りであったけれど、そんなにきつい道でもなく、南相木村に入ってからは天気のみが気にかかっていた。
 やがて立岩湖という小さな湖を過ぎて馬越峠への分岐地点近くで小休止とした。いかにも「万屋」というような店でジュースと梨を買う。空は相変わらず暗かったが、峠への期待が雨の不安を打ち消していた。

 店の前を出発して、すぐに分岐に差し掛かった。右折すれば馬越峠に至る。登り始めてすぐに道は林道に変わったが、路面はやや荒く、
ウォルバースーパーランドナー35B※走行性能の良さで人気のあったタイヤだが、荒れたダート向きでなかったには負担が大きい。それでもしばらくはフロント28Tが威力を発揮していたが、押したり乗ったりを繰り返す。だがいかにも信州らしい広大で開放的な風景が心地よい。

 やがて前方に白い標識と手持ちの地図には載っていない舗装路が目に入ってきた。この標識には「馬越峠に至る」とはっきり示されていた。スナップを数枚写して、さらに舗装路を辿って行くが、何か足が重く感じられ、やがて再びダートにになったところでサドルから降りてしまった。そして駅を出発して2時間強で前方に切り通しが見えてきて、ようやく峠に到着した。馬越峠は非常に開放感が感じられる峠で、前方には広々とした裾野が広がっていた。

 しばし休んでから下り始める。下りも悪路が続いているようで、35Bへの不安がチラッと頭をかすめたが、そこは下手なテクニックを駆使して頑張ることにする。下り始めると、はたしてこれがすごい振動で、フロントバッグは前後左右に振られ、かぼそいバッグサポーターが悲鳴をあげる。それでも段々慣れてくるとともにスピードを上げ、右に左に石や窪みを避けて下って行った。あるカーブを曲がった時だった。目の前にいきなり大きな石が現れ、次の瞬間には急に道が左に傾いた。自転車ごと右に跳ね飛ばされて転倒したのである。

 おもしろい事に自転車は逆さまになったまま立っており、しばらく車輪が回り続けていた。転んだままそれを見ている内になんだか可笑しくなってきて、「あ〜あ、とうとうやっちまったなあ」と声に出していた。
 起きあがって自転車を元に戻すと、こちらは無事だったが、人間の方は右肩から右肘、右膝と血を滲ましていた。だが派手に転倒した割りには大したことも無く、すぐに手当を済ませた。
 それからは慎重に下って行き、ようやく大深山の集落に出た。懐かしい風景だった。2年前の今頃、埼玉から三国峠を越えて来て、この道を走ったのである。2年前と何一つ変わらない道を信州峠への分岐まで進み、そこで小休止を取った。

国鉄小海線「小海駅」全景

目の前に現れた舗装路と標識
 (写真奥が馬越峠方面)

ようやく馬越峠に到着


 さて信州峠に向かうことにする。信州峠への道は広大な畑の中を走っており、文章では表現しにくいが、とにかく雄大な景色だ。まもなく道は正面の山の向こうに一直線に吸い込まれて行く。この辺りから舗装も切れたが、割合走りやすい道でどんどん登れる。やがて山の中に入り、ぐうっーと右に曲がって登り切ると、そこが信州峠であった。切り通しの向こうには甲州の深い山並みが見える。しばらく休んでいると、ものすごい爆音とともに超低空でジェット機が頭上をかすめていった。いきなりの事で、クルマで来ていた人達とともにあっけに取られてしまった。
 ふと時計を見ると4時を過ぎており、この分だと宿に着くのは5時過ぎだろう。ぼちぼち下らなくては。この下りも35Bには厳しいが、考えてみれば
2年前にはシイチで下ったんだっけ※1974/08/04〜10「秩父・信州ツーリング」ツーリングレポートに記載 

 このダウンヒルは下れば下るほど山の中に入って行くようで、だんだん展望が少なくなっていく。それでもしばらくすると、黒森の集落が見えて来た。ここは子供達の林間学校などもあって、山の中とは言え、明るい雰囲気だ。
 宿であるYH幸運閣へは更に1.5キロほど登らなくてならない。フロントをインナーに落として登り始めたが、ここでトラブルが発生した。リヤ変速機が後に跳ね上がってしまうのである。やはりストッパーがないと駄目なようだ。せっかく
13年前のメカが使えたと思ったのに。※Simplexプレステージ1963年型 


(上)当時の信州峠

(下)99年6月の信州峠

 
 ともかくYHに着いてから考えることにして更に登っていく。林間学校に来ている小学生とすれ違いながら進み、YHに着いたのは5時少し前だった。
幸運閣※99年6月に走った時には、既に廃業したようだったは前に来た時と違って宿泊客が多く、クルマが何台も駐車していた。 それでもここはやはり静かで良い所だ。川で手足を洗い、自転車を整備する内にすっかり疲れも取れたような気がした。風呂のあとの夕食もとてもボリュームがあり、サイクリングのあとにはたまらなく美味しかった。明日の木賊峠は果たしてうまく行くか、期待と少しの不安の中、眠りに着く。外は雨である。
(走行距離78km)

 
8月15日(日)

 6時に起床。飛び起きてすぐに外を見ると雨は止んでいた。この分だと今日も天気は大丈夫だろう。朝の空気は大変すがすがしいが、食堂の温度計は22度を指している。朝食を済ませて、頼んで置いた昼の弁当を受け取ると、すでに8時近かった。リヤ変速機のトラブルは針金を使って解決した。YHを8時20分に出発して木賊峠を目指す。
 路面はあまり良いとは言えず、乗ったり降りたりを繰り返しながら進んで行く。やがて金山平を過ぎ、みずかき山荘の前に到着。山荘でジュースを2本買い、1本はお腹に、もう1本はバッグに詰めた。更に先へ進むと、道は2本に分かれた。左の方は「本谷林道」とあるから、右の方のはずだが、もう一本の標識には木賊峠が左と示されている。地図を見ると右のはずだが、とりあえず左に進んでみたが、どうもおかしい。Uターンして右に行ってみると、かすかに憶えている道だ。しばらく進んで、もう間違いないと確信、どんどん進む。その内、勾配が緩くなってきて、草原に出た。木賊平である。自転車から降りてしばし休む。非常に静かで、聞こえるのは鳥の鳴き声のみ。ここから峠までがけっこうあるのだが、汗をかきかきペダルを踏んで、10時50分に木賊峠に到着した。

 ジープに乗った人達がいて、自転車で来たことにひどく感心されてしまった。やがてジープは下っていき、峠には僕一人となった。時間は少し早いが、YHで作ってもらった握り飯をほおばる。少し塩味が足りないが、とても美味しく感じられた。食べ終わってジュースを飲み、やっとひとここちついたようだ。あらためて回りを見回してみると、天気はどうもはっきりせず、霧が上がってきたり消えたりしている。そろそろ下ることにしてサドルに跨る。
 道は2本あり、1本は黒平に至る新しい道である。初めそちらに行こうと考えたが、細かいジャリが敷き詰めてあって走りにくそうだったので、観音峠に至る以前からの道を行くことに決めた。
 この道はおととし走った道だが、観音峠からの荒れた路面でバンクしてひどい目にあった、いわば因縁の道である。意を決して下り始める。ジャリは少なく、けっこう飛ばせる。やがておととしパンクした箇所も過ぎ、気分もゆったりしてきたが、そこから1キロほど下った所で、前の方がゴトゴト言いだした。パンクである。ガックリ。でも今回はスペアチューブも有ることだし、15分ほどで交換して更に下り、やがて観音峠に到着した。

 峠にはハイカーの人がいて、その人の話によれば、霧が下り始めると天気が崩れるそうだ。今は上る一方なのでまず大丈夫との事だった。さて観音峠を下り始める。以前にもましてすさまじい道になっている。こぶし大の石がゴロゴロしているしワダチも深いので、スーパーランドナーは全く言うことを聞かない。乗り手の意志に反して自転車はあっちこっちへ向きを変え、時にはいきなり滑り出す。こんなダウンヒルでは楽しさより転倒の不安の方が大きく、あまりひどい所は歩いて下った。


 

木賊平にて

観音峠

 そんな感じでしばらく行く内に、ついに舗装路となる。こうなるとやたら飛ばしたくなるのが人情というもの。ガンガン下るが、その楽しみは長くは続かなかった。昇仙峡に通じる道は非情にも、またもや上りである。しかも舗装されているだけにやたらときつく感じる。ようやく金桜神社にたどり着いたが、素通りしてとにかく進む。この辺りは上り下りの連続で、やがていやな予感が当たった。有料道路だった。20円払って出口をあとにした。※当時は有料道路が大嫌いでした
 それにしてもクルマが多くてあまり走りやすいとは言えない道だ。途中で会ったサイクリストもそう言っていた。さらにしばらく走って千代田湖。そこから最後の一踏ん張りで甲府YHに到着した。ホステラーも少なく、建物の中は閑散としている。先程出会ったサイクリストもここに宿泊していた。
 夜のミーティングは男ばかりのためか中止。静かな夜だった。
(走行距離45km)

 

−−−<No.2へ続く>−−−

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