Miroir du cyclisme No.7:1977 Tour de France

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Miroir du cyclisme

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 "Miroir du cyclisme" は、かってフランスで発行されていたレース専門グラビア誌です。日本語ですと「ミロワール・ド・シクリズム」とでも表記すればよいでしょうか。私は1976年9月のNo.222から1978年9月のNo.257まで約2年間にわたり定期購読していました。ちなみに本誌は既に廃刊となっています。フランス語は全く読めませんが、本場ヨーロッパのプロロードレースの迫力は、写真だけでも充分伝わってきました。
 現在もすべて手許に保管してあり、このページでは、その中からピックアップした画像をご紹介しています。画像サイズがやや大きめかつ多いので、多少重たいページとなっている点はご容赦下さい。

左の写真を右クリックすると大きな画像が保存出来ます。
サイズは1280×1671です。マウス右ボタンで保存出来ます。

※本ページの画像は著作権保護対象と思われますが、本ホームページではあくまで趣味の範囲での使用に限定するものとしております。権利関係で何か問題が明らかになった場合は、即刻削除等の処置を致します。


今回はベルナール・テブネが2勝目を飾った1977年のツール・ド・フランスをピックアップしてみました。
なおコメントを書くにあたっては、安家達也著「ツール100話」(出版:未知谷)を参考にさせていただいております。

この年のツールの出場チームです。
有力選手としては、前年度総合優勝のルシアン・ファン・インプ、勝てそうでなかなか勝てないヨープ・ズートメルク、1975年優勝のベルナール・テブネ、1973年優勝のルイス・オカーニャ、この年が最後の参加となったエディ・メルクス、ねばり強い走りのクイーペル、有力新人のトゥーラオというところでしょうか。

 マイヨジョーヌは、この年初出場、若干22歳のチームTIラーレーのディートリッヒ・トゥーラオです。トゥーラオはプロローグから15日間マイヨジョーヌを着続けました。
 それ以外にも、KASのガルドス、マルチネス、FIATのメルクス、TIラーレーのクイーペル、ルジュンのインプ、MIKOメルシェのズートメルク、プジョーのテブネなど、そうそうたるメンバーですね。
 

 

プロローグを疾走するディートリッヒ・トゥーラオです。

この年のツールは第二ステージがいきなりピレネーの山岳ステージでした。アスパン峠、ツールマレー峠、オービスク峠を含む全長253kmの難コースです。

雄大な山岳風景のアスパン峠を登る先頭集団です。

 

上の写真はツールマレー峠を登るメルクス。
下は先頭集団です。インプ、ズートメルク、テブネなどが見えます。

上は1969年のツールマレーで、マイヨジョーヌを着ている若き日のメルクスです。
下は先頭集団から飛び出したインプとクイーペルです。

オービスク峠を登る先頭集団。

オービスク峠を下り切り、最終的にこのステージを制したのは、トゥーラオでした。トゥーラオはツールマレーで先頭集団から置いていかれたものの、メルクスに引っ張られて力を取り戻し、オービスク峠の下りで先頭集団に追いついたのでした。
 

第17ステージはシャモニーからラルプデュエズに至るアルプスステージです。

苦しい表情で懸命にペダルを踏むメルクスと、水玉ジャージが似合うインプ。このステージ、メルクスはトップから14分も遅れたのでした。
 

ラルプデュエズでの攻防。既に第15ステージでマイヨジョーヌを奪っているテブネとズートメルク、クイーペルの激しい争いが続いています。

ズートメルクらを振り切り、大勢の観客の声援を受けながら単独で登り続けるテブネ。

ラルプデュエズをトップで登っていたインプでしたが、追走するサポートカーと接触して転倒し、その遅れが響いて、結局総合3位に終わっています。
 

雨となった最終ステージを走り終えた総合優勝のテブネ。
この年は、総合優勝テブネ、スプリント賞エスクラサン、山岳賞インプ、新人賞トゥーラオという結果でした。

 

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